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台湾の街角 - ,PART - 1, 2, 3, 4, 5,


街角の風景,生活経験,台湾の人々,・・・etc.
私の目を通して見たこと 感じたことを 私の表現で書き綴っています。


20.台湾山脈の道路風景
2002-05 〜 2003-03
埔里(プリ)〜日月潭ドライブ2002-05-19 Sun
所用の後, 11:00 am 予定通り台中を 出発,
約30分ぐらいで市街地を外れると広〜い 平野が開ける。
視界は一面田園風景。 緑の絨毯の中にまばらに散らがる
民家や,背の高〜い 檳榔(ピンナン)の林と・・・,
それらの間を弧を描きながら連なる高速道路が風景によく
調和する。
そして更に30分走ると もう 既に 台湾山脈の中を走っている。
毎度のことながら台湾の山は急峻なので平地からすぐ急坂の道路を登る。 
台湾には 3000m級の山々がすぐ目前には聳え,すごい壮烈な景色が見られる・・・,

台湾の山は褶曲山脈で, しかも複雑な断層を繰り返しているから,どの山も・・・
凄〜く険しく ゴツゴツに破砕された 大岩山である。
しかし山間は破砕された土砂が堆積して,かなり広い平原になった所に 集落が開け・・・,そこが埔里(プリ)である。

パラグライダーのフライトエリアもあるので 地名には心当たりの人がいるかもしれない。
埔里は地理的には台湾のど真中(地理的中心)として,またワイン生産でも有名であるが・・・,今は1999年9月の9・21地震」によりもっと有名になった
平時はのどかな 山間風景地区なのだが,地震では1000人(台湾全土では2000人)が亡くなった。
そして今は,地震で倒壊し,真新しく改装された学校や大きな建物が ほうぼうに見られる。

埔里(プリ)からは上述と同じ様な 鋭い奇景 の山あいを縫う様に,片側2車線の超豪華道路を約30分 走ると,日月潭に着く。
ここは 疑う余地もない。 海抜748m,周囲24km,・・・台湾山脈の険しい山々にとり囲まれた
台湾最大の湖 だ。-----------See--
2002-05 埔里,日月潭ドライブ"


≪奮起湖までの車中 TLI 外国語スクールのバスツアー 2002-12-28 Sat
バスの中は既に中国語,や英語やそれにイタリア語なのかポルトガル語なのか・・・,我々日本人以外は 結構大きな声で 賑やかだ。 しかし,その英語も 欧米人同志の会話は殆ど理解できない。
でも・・・,私が問いかけると 彼らは トタンに分り易い言葉に変える。
どうも日本人は こんな大きな声で会話に加わるのは抵抗を感じながら・・・でも楽しい雰囲気だ。

1時間余り後 嘉義(チャイ)でトイレ休憩後 進路を山岳に向ける。
台湾の山は急峻なので 間もなく 断崖の道を回りくねりながら進む。

坂を登りながら 大きなバスは 複雑な山ひだを縫う様に・・,
つまり,
いつまでも ずぅ〜っと 崖っ淵を走っている感じで,時には下界を見下ろし,時にはナイフの刃の様な山や峰を見上げ時には雲中を走り時には壮大な雲海を眼下に眺め,時には茶畑を見ながら・・・, 16:30PM 予定通り奮起湖の幺妹(ヤオマイ)山荘に到着。
ちなみに ここは標高 1400m。 気温?℃・・・とにかく寒かった。

---------------
See--
2002-12 奮起湖,大凍山,達娜依谷バスツアー



≪阿里山への道 ドライブ 2003-01-25 Sat
阿里山というのは海抜2500m前後の峰線に連なる幾つかの山々を総称した名称であり,その阿里山 山系は,台湾最高峰の玉山(3952m)のすぐ西方にある。
途中(中腹)の奮起湖までの道は 先回 ”奮起湖バスツアー”で紹介した通りであるが,少し違う点は・・・,今日は雲一つない快晴 「眼前にそびえたつ断層崖が くっきり,はっきりと見えること。 雲海が何処にもないこと。 それにバスでなく乗用車で移動していること」だ。

前回同様,嘉義(チャイ)から 進路を山岳方向に向けると 間もなく 断崖の道を回りくねりながら,複雑な山ひだを縫う様に・・進む。
台湾の山は褶曲山脈で,しかも複雑に断層を繰り返した跡は, ちょっとスイスアルプス等にも似た感じ。 ・・・だが,ここは何ともグロテスクな・・・ギザギザに破砕した山姿が随所にみられる。
それと,この当たり 阿里山中腹は烏龍茶の有名な産地。
急傾斜の山肌は”耕して山に登る・・・”というのどかな風景も・・・一緒に展開する。

今日の天気は 雲一つない青空!!。 奮起湖の近くを過ぎ,標高が増してくると・・・谷底は もっと深く・・・, 遠景の山や峰はもっと雄大になってくる。
そして,樹木はすっかり温帯性の松や,杉や,ひのきに変わる。

広葉樹も,落葉樹も・・・,紅葉も見られる。
街路樹にも 桃や,山桜がつぼみをつけ(桜の季節は3月〜4月だそう),つつじなどの植え込みも目立ち・・・,日本と同じ様な風景になってくる。
-------------See-- 2003-01 阿里山森林公園・玉山観峰ドライブ


台湾中央山脈(丹大林道) =七彩湖キャンプ 2003-02-28 Fri
朝 7:00 am過ぎ 水里 出発。 国道16号線, 川沿いの道を一路 西進 。
最初,広くて大きかった川幅は 刻々と狭まり,峡谷化する。
同時に,車道からは 舗装もガードレールもなくなり・・・, 自ずと 断崖絶壁の中腹から 遥か下方の谷底を見下ろしていた。  そんな道を約 1時間 激しく揺られながら ”地利 検査哨(検問所)”に到着。


ここで 入山届けを済ませ, 愈々・・・,本格的な登山道(丹大林道)に入る。
道幅は1車線に狭まり, 道はもっと急坂に, 車の揺れはもっと激しく, 速度は 20km/hが限度だ。
そして・・,断崖は余りにも垂直なため,車窓からは顔を則り出さないと 谷底を見ることができない。
通過する道路にも・・・,対岸の山にも・・・,至る所に 崖崩れ跡が見られる。
・・・ そんな道を ものすごい砂埃りを 巻き上げながら 車は 登って行く。

車の中は 激しい揺れに身を抗することで結構疲れる。
・・・ しかし,力を抜いて なすがままに身を委ねれば絶好のマッサージにもなる。
こうして,検査哨から 約3時間 11:30 am, 標高 2,400m の登山口(駐車場)に到着。

ここまで来ると 周囲を取り巻く 3000m級の 山脈群が低く見える。 空気は冷たく,陽射しは強く・・・,下界から持ちこんだ菓子などの密閉袋は パンパンに膨れあがり・・・, 自ずと標高を意識する。
------------See-- 2003-03 七彩湖・六順山 キャンプ


19. 中秋節
2002-09-21 Sat
中秋節 高雄の名月
今日は旧暦 8月15日,中秋の名月。
この日は本来なら休日だが土曜日と重なったので,今年は 休日を1日損したことになる。
しかし,この日のために 会社からは全員に 月餅と若干の現金と商品券が支給された。
こちらでは日本の様なススキではない代りに,月餅 と文旦(オレンジの一種)を備え,街じゅうで花火などを打ち上げながら・・・お祝いする。
この国で お祝いというのは・・・,街じゅう至る所から花火や爆竹や
他の鳴り物入りで・・・ ポンポン, ピーピー,バリバリ,ヒューヒュー,・・・ 騒音などは お構いない。
ここでは祝いとか祭りごとというのは,ともかく賑やかに過すことなのだから・・・。
日本の様に満月 を見ながら・・・静かに情緒に更けるとは,俳句を詠むとか ということは基本的に考えられない。
これが月の出から始まり 夜中まで途切れることなく続く。
満月などは関係ない。


18.拝々(パイパイ)
2002 - 08 - 23

これは台湾を含む中国大陸全体の習慣らしい。
7月(旧暦が使われる)は「鬼月」といって結婚とか,葬式とか,建家とか・・・,一般的に大きい行事は忌み控える習慣がある。

そしてその中心日である7月15日(=今年は新暦 8/23)前後に 各家庭や職場毎 玄関の前にテーブルを並べて祭壇を造り,食べ物などを一杯備え,線香を焚いて拝む。

備えものは これは1日中備えているのではなく 30分か1時間ぐらいで終る。
その間に人は 玄関から外に向かって線香を持ち,掌を合わせて数回礼拝をする。
日本との違いは鬼を追い払うのでなく,悪いことをしないで お互いに仲良くしましょうという挨拶らしい。

その後 そのお下がりが会社では 職場員一人々々に分配される。

だけど拝々はこの日だけでなく縁日が何度もあるらしい。 年には何回も行われている。


17.ゴ ル フ
2002 - 07
2001-12/31
日本人 居留者の多くは週1回ぐらいのペースでゴルフをする。 ゴルフ代は日本の1/2ぐらい。
台湾も不景気でコースは殆どガラガラだ。
ゴルフ場の大きさも,コースも日本とほゞ 同じだが・・・,椰子の木など熱帯性の植物が整然となっている景観は 私達 日本人には異国情緒を煽る。
こちらでは,普通 キャディは 2人付き, 18ホールを続けて廻る。
だから朝7時スタートすれば昼食を済ませて昼過ぎには帰れる。

私には何年ぶりか・・・,広いフィールドで芝生に接してボールを思いきり打ち,歩き(走り)廻る。
環境といい運動量といい・・・,パラグライダーとは 違う趣向がある。
今日は私としては,前半はまずまずであったが (でも人に話せる様なスコアではない)・・・,やはり,後半は 疲れてくるのと,精神的にも散漫になるのと・・・,チョッと息切れした。
何しろ,朝7:00スタートし,休憩なしで18ホール連続して,4時間以上, 自分が打席にたつ時以外は,ずっと一人で走り回っているのだから・・・・・。

2002-7/26(金)-台北----
今日は1日仕事の都合をつけ,朝 6時私のアパート発 高雄空港経由となった。
台北近郊にある桃園ゴルフクラブにて10時スタート。
今日は最高に好い天気。
台湾の太陽は最高の効率で照射し,そよ風もカラッとして最大の効率で冷却し・・・,
その他,色々・・・雰囲気も気分も 最高の状態を経験できた。
スコアについては・・・例のとおり・・・としか言えないが,終了後は 食事等をし 今朝の折返しで台北〜高雄空港〜20:00頃アパートに帰着した。


16.高雄の梅雨空
2002-05〜06
5/16 The〜
久しぶり雨天 =梅雨入り】

台湾ではずうっと有効な雨が降らない。 台北では 1週間くらい前から 時限断水が始まっている。
高雄ではそれ程ではないが,しかし・・5/16,17 それにしても何ヶ月ぶりか?雨天になった。
例年だとそろそろ梅雨が始まる。 その後は台風シーズンにつながる。
5/16 The〜久しぶり雨天 =梅雨入り】
台湾ではずうっと有効な雨が降らない。 台北では 1週間くらい前から 時限断水が始まっている。
高雄ではそれ程ではないが,しかし・・5/16,17 それにしても何ヶ月ぶりか?雨天になった。
例年だとそろそろ梅雨が始まる。 その後は台風シーズンにつながる。

【週末フライトお流れ・・・ 】
昨日来の天気状態から 今日はパラは諦めていた。
しかし,朝起きたら 結構好い天気なので慌てて,kenny 陳さんにTel し,
サイチャ近くに住む彼のコーチに聞いたが 「天気は好くない」というので中止した。
サイチャは山沿いなので高雄とは状況が異なる。 翌19日もおなじ様な状態だった。


5/20 Mon〜【 台湾の水不足解消 】
降ったり止んだり状態が木曜日まで続いた。
お陰で水不足はかなりの地域で大分 好転した様だが,
でも肝心な台北付近はまだ潤いの程度が少ないらしい。

週末= 梅雨の中休み
Kenny陳さんが「今日は奥さんと一緒にサイチャへ行く・・・」というので,勿論喜び勇んで便乗
。 夫妻は高雄の中の英語クラブで活躍しているそうだ。
車の中では3人で台湾の珍しい話や,日本の話などの歓談で花が咲いたのだが・・・・。


サイチャに近づくにつれ 高雄では晴れていた空が次第に曇り始め,着いた時には風向きも悪く,楽しく飛べる雰囲気ではなかった。
しばらく天気待ちしたがフライヤーも数人しか集まって来ないし・・・・,気分も盛り上がらない。
昼過ぎ,近くで食事して高雄に引き帰した。

6/01 Sat〜
【変化の激しい天気】
この所 数日間ず〜っと,朝,目が覚めたら,激しい雨が降っている。
つまり,週末のサイチャ行きは自動キャンセルだから, 安心して9時まで寝れた。
所が,間もなくして晴れてくる。 そうしたら・・・またうずうずしてくる。

言いたいのは・・・これが最近の梅雨空なのだ --アパートから空を眺めると・・・,青空あり,もくもくとした入道雲あり,黒々とした雨雲あり・・・,陽射しに真っ白く輝く雲も・・・,容姿の華麗な高層の雲も・・・,ここはあらゆる種類の雲が 同時に見られる。
その結果,日本ではめったにない 変化の激しい天気 が連日経験される。

【 週末フライト (6/8,9) 】
この週末も 雨こそ降らなかったが,雲行きは怪しくフライトは また お流れ・・・だ。
やっぱり 神の倉は好い〜!。


6/10 Mon〜
【 雲形の変化〜梅雨あけ ・・・ ? 】
毎日,気にしながら空を眺めている。 今週は雨が上がったという訳ではないが少し空の様子が変った様に思う。これまでになく きれいな雲が見られる様になった。
それに高雄のスモッグもなく,私のアパートからサイチャ付近の山々もよく見える。
これは梅雨あけなのかどうか・・・!?


【 週末フライト 】
6/15 Sat 久ぶり条件が揃い,サイチャへ行った。

朝 9:30 Kenny陳さんは奥さんと,奥さんの愛犬同伴で迎えに来て呉れた。
ご両人共英語はペラペラなので道中の意志疎通にはそれ程困らない。
Kennyさんも Handsomだが,奥さんも可愛い顔立ちの人。
愛犬も道中ずっとおとなしく,でも 忙しそうに尻尾を振りながら その気持伝え様としていた・・・。

今日は サイチャはひところ程ではないが,十数人のフライヤーが来て,少し盛りあがった。
しかし,コンディションはパッとしない。
瞬間的に50m前後 トップアウトすることはあるが,大半はレベル以下。
凄い暑さにうんざりしたが やはり やっと飛べたことでようやく 落ちついた。


15.埔里(プリ)日月潭ドライブ
2002 - 05 - 19 Sun
今日は高雄発7:00。 出発時は曇空だったが10:00頃 台中に到着。
ここは台湾第3の都会であるが市内の中心部には かなり古い木造建物が沢山残っている

予定通り
所用を済ませた後, 11:00頃台中出発,約30分ぐらいで市街地を外れると広〜い 平野が開ける。
視界は一面田園風景。 緑の絨毯の中にまばらに散らがる民家,背の高〜い 檳榔や やしの樹。
それらの間を弧を描きながら連なる高速道路が風景によく調和する。
【 埔里(プリ) 】
そして更に30分走るとだんだん山が迫ってくる。
台湾の山は褶曲山脈で,しかも複雑な断層を繰り返しているから,どの山も 凄〜く険しい。
しかもゴツゴツに破砕された大岩山である。
しかし山間は破砕された土砂が堆積して?,かなり広い 平地になっている。
パラグライダーのフライトエリアもあるので 地名には心当たりの人がいるかもしれない。

埔里は地理的には台湾のど真中(地理的中心)として,またワイン生産でも有名であるが・・・,今は1999年9月の「9・21地震」 により もっと有名になった
平時はのどかな山間風景地区なのだが,地震では1000人(台湾全土では2000人)も亡くなった。
そして今は,地震で倒壊し,真新しく改装された学校や大きな建物がほうぼうに見られる。

埔里酒廠文化公 は地震で完全に倒壊した酒造工場跡が記念碑となり,公園に生まれ変った。
所が,これが今大ヒットして毎日数えきれない程の観光バスや乗用車が訪れる。
公園内にある会館では 当該工場の歴史や 地震に関する資料展示の他, ワイン,紹興酒等 諸酒類,土産物,雑貨などが販売されているが,何処も
満員電車の中の光景だった。

その後公園外のレストランで遅目の昼食(客家料理)をとり,日月潭に向かった。

【 日月潭 】
埔里(プリ)から日月潭までは前述と同じ様な 奇景の山あいを縫う様に片側2車線の超豪華道路が走る。
そして約30分後
日月潭に着く。 ここは海抜748m,周囲24km,自然湖で,台湾最大の湖 だ。

険しい山あいにある巨大な湖だが,着いた頃は雨が降り始め,周囲に何も見えないのが余りにも残念だ。
しかし,
頻繁に発着する遊覧船の大きさと乗降客の多さから
雄大さと美しさが 自ずと 想像される・・・。
その後一瞬だが
視界が開けた時,改めて雄大な山景と湖の広さが実際に確認できた。

------------See-- 2002-05 埔里,日月潭ドライブ"



14.墾丁(ケンチン)国家公園旅行
2002 - 05 - 04,05
-我社は 現場 3交替勤務の関係で,社内旅行は,例年通り 4回に分けて実施される。
我々 常昼勤務者はどの回でも良いのだが,私は今回(2回目)を選んだ。
今回参加状況 ; バス8台,総勢(社員及び家族同伴参加)400人余り。
朝8時 会社から出発・・・。
車内では若干のアルコールとカラオケに酔いしたりながら,海岸線を一路南下。
台湾最南部の地形は割となだらかな山と海・・・。
今日は少し風があるせいか・・・まっ青い海,白い波,ギラギラする太陽,,・・・。
抜ける様な青空で,思い思いにじゃれ遊んでいる 色んなモンスター雲と,その家族雲や子供雲達 ・・・。 私は その調和の美しさと,面白さに 2日間魅了された。

墾丁(ケンチン)国家公園 】
台湾最南端は三角形をなしている。
そして,陸地にしては狭いが,公園としては広い, なだらか・・・といっても沢山の岩山がある・・・,を挟んで 2辺が海に面している。

東は太平洋,西は南シナ海。 先端はガランピ岬でバシー海峡を隔ててフィリピンに繋がる。
台湾の山は褶曲山脈だから,岩の中には波による浸食や,その昔の海だった証し(化石)が見られる。

その代わり,何時まで走っても,何処まで行っても 海と空と山の風景・・・。
そして写真は何枚とっても・・・全て 同じ様な写真しか撮れない。
ということは・・・それだけ広大で雄大な海と空を感じて貰いたいということなのだが・・・・・。
------------See-- 2002-05 墾丁旅行写真


13. 故宮博物院
2002 - 03 - 23(土)
故宮博物院正面階段
 軽く腹ごしらえの後,12:00 =故宮博物院見学開始。
私が故宮について紹介することは,同時に無知加減を暴露する様なものかも知れないが・・・。

 日本の博物館では 弥生時代,または縄文時代といっても,主として 紀元前後 から以降の土器や石器,青銅器等の 発掘された破片や復元されたものが展示されていることが多い。
 しかし,故宮の文物はもう3千年も前から 中国歴代王朝でコレクションとして大切に保管されてきたものである。 だから,BC.2〜3000年,或いはもっと古い物が多数あり,すなわち,4〜5000年経た品物なのだが,それが今でも,無傷でピカピカなのだから凄い。

 また,これらは元々は北京の紫禁城(故宮)にあった品物を,かつて日本軍の進攻により破壊されるのを逃れるため,主要なものが上海に運ばれた。
しかし,1945年日本軍が敗退した後も 新たに共産軍による破壊を免れるため,更に戦火をくぐりながら台湾まで運ばれた経緯がある。 この間にかなりのものも失われれた様だが,主要なものはここで,こうして見ることができる。

 青銅器は BC千数百年(殷(イン)時代)には,もう驚くほど複雑で精巧なものが造られている。
そして凄〜く繊細な模様が刻まれている。 それが,何といっても無傷でピカピカしているから・・・,見応えがある。 そして それ以後,時代を追う毎に形もデザインも色も洗練化していくのが手にとる様に解る。

 玉器,陶磁器,書,絵画,・・・も同様。  歴代 王朝貴族の愛用品は 彼らの生活ぶりを 如何にも生々しく呼び起こし・・・,これらを通して中国数千年の歴史が一望できるのだからたまらない。
そのデザインも十分現代に通用する斬新さがある。
 ジ〜ッと眺めていると紀元前の時代に吸い込まれる様な錯覚に陥る。
秦の始皇帝時代(BC 200年台)になると,もう現在のものと変らない技術水準になる。

 中国 数千年の歴史を,・・・私の印象で 区分してみると・・・・・
.ADの時代(日本の飛鳥,奈良,平安時代)は もはや近代であり,
.AD1200年以後(頼朝,尊氏,室町,戦国)の時代は,もはや現代に区分される。

 16:30。 アッという間に 4時間以上の 時間が過ぎた。
まだ,未練は残るが,しかし,もうこれ以上は 貧弱な頭が受け付けない ので出門した。

 しかし,最近の異変は,日本人がガタ減りし,韓国人観光客が急に増えてきたことだそうだ。
日本と韓国の経済環境の変化だろうが・・・!!。


12. 奮戦 ”HP 遂にオープン !!”
2002 - 03 - 18

ホームページ公開 !! ”
実は,稲垣さんからは何ヶ月も前から進められていた。
しかし,やり方はさっぱり分らないし・・・,お世辞にも パソコンに精通などとは 言えない者が
どうやって・・・??? 。 中々重い腰が上がらなかったが, 今回 帰省した チャンスに・・・,

【 稲垣さんの事務所訪問(2/19金) 】
携帯電話に導かれながら ”稲垣ビル” に辿りついた。 氏 は都会の一等地にあるビルのオーナー。
そして,その2階で奥さんとの名コンビで 事業を営んでいる。

訪問の目的はHPの作り方を教わること。
稲垣さんは 一生懸命教えてくれるが・・・,全くその経験のない私にとっては殆ど理解できない。
稲垣さんもそれを察しているのだが・・・。 しかし,
それでも 一応解った顔をしないと,
稲垣さんの熱意に対して バツが悪い・・・。 話しも進まない・・・
かくして何時間か, ひととおりの説明を受けた。 ・・・が,正直言って あまりよくは・・・・・かった。

この間 奥さんは・・・,
そんな話しを 横耳にしながら・・・,しかし黙って・・・ 落ちつかない様子(多分)で,ず〜っと,ただ 黙々と パソコン バタバタ・・・。 背面からの様子では 「考えながら,しかし・・・休まず,延々・・・」ということは多分 (仕事外?) HPの原稿かも・・・??。
こんな調子で 私たちが 会話を続けている間 ,それを妨げる電話はあまりなかった。
毎日 憂鬱な電話に追い回されている者にとっては 万事平穏な感じだった。


【”HPを開設まで” (奮闘=2/25〜3/15)
帰台後,まず第一段階は,アパートのパソコンに個人専用 mail address を取得すること。
しかし,これは会社の人に来て貰い,あっけなく順調にいった・・・。 でも 問題はこれからだ !!

要は 稲垣さんに教えて貰ったとおりに実行すればいいのだから・・・・,別に難しいことではない。
しかし,現実は・・・ 教えて貰った時から分らなかったのだから・・・そうはいかない。
分らないながら,説明(チュートリア)に従って一個々々やってみるが,説明の中の言葉が・・・始めて聞く単語ばかりで, しかも誰も 尋ねる人がいないのだから・・・簡単ではない。

会社の人に聴くにも,私には 内容的にあまりに分らないのと,勤務時間中はそんなゆとりもない,それに私の語学力では 日本でやるのとは訳が違う・・・。
何を どんなに 聞いたら良いのか・・・ 聴き方もさっぱり解らない。
一人で,途方にくれながら,毎日 深夜まで 頑張っているが,まだまだ 中々目処はたたない・・ !!

”頼りなくても自分一人しか頼りにならない !?”, 説明を見ても意味が分らないし・・!?
普通なら もう とっくに諦めているところだが・・・。
しかし,・・・何故か・・ ??, 今回は何かに取り付かれた様で・・・, 諦めきれない。
何度も一から出直し・・・,また出直し・・・,会社から帰ったらすぐ,休日も 殆どの時間を費やし,何か・・ 嫌気と ふさがれ気分に,半ばふてくされながら・・・,PCとの格闘を繰り返しだ・・・。

そして 約 20日間後。 ・・・そうこうしている内に,やっとUP-LOADに成功した。

自分のHPにアクセスして見ると・・・,ああ〜っ ,確かに自分の書いたものが見られる・・・。
何か信じられない・・・, 本当に ・・・ !! 。 何か 間違いではないだろうな・・・?? 。

色々試して見た。 人に見られては困る様なことも・・・, しかし,その修正方法が解らなかったり,色々あった。 毎日会社から帰るとすぐ・・・,土,日も殆どの時間を これに費やしている。
そして,ようやく目処がつき,開設(オープン)に踏み切った。
この間,他の予定 や,天候の関係も・・・色々あったが, しばらく サイチャは一度も行けなかった。

こんな訳で 準備中,URLは誰にも知らせなかった。
【 HPを 愈々 公開 ( 3/18 ) !!! -------------
しかし,ようやく不完全ながら一応の体裁が整ったので
第一段は本日早朝。 稲垣さん,山本夫人,石田さん,橋本嬢,井口夫人宛にURLを 伝えた。
稲垣さんからは 即日”祝,HP開設”と朱書きで大書した記念すべきmail が返されてきた。
何か私の書いたものが皆に見て貰える・・・いや,本当 なのか?。 何か信じられない気持ちだ !!

引き続きSORAの BBSにも書きこんだ。 早速かなりの人がアクセスしてくれた様だ。
カウント数が急に増えたのは嬉しい気持ちだ。
例によって 山本夫人からは天使のmail が帰ってきた。石田さんからも返事がきた
駆けだしながら少しづつ反応が来た時は 何か信じられない様な 不思議な感動を覚えた!!。

【 その後(2002-04) 】
しかし,私の方の台所事情はまだ,とてもスムーズに行っているとは言えない
折角見て戴く皆さんには申し訳ないが,新しい書きこみが遅れている。
以前,稲垣さんが HP開設した頃,毎日カウントが上がるので,書きこみが追いこまれると言っていたのを 改めて思い知らされている。

【 その後 (追記 ) 】
それやこれや 色々な経験をしながら 現在に至っている。
HPを通じて,自分の 考えや 思いを 自分流 のやり方で表現できる。 それを沢山の人にも見て貰える。
そして,知らない人からも 反響や 感想などが送って貰える。 こうしてもっと広い輪が広がる。
そんなことを 楽しみに 感じながら・・・,現在まで続いている。
・・・・しかし,この先 いつまで続くかは私にも分らない・・・。


1.結婚パーティ,会社での仕事ぶり
2002-01
結婚パーティ
参列者約200人。こちらの良いところは背広もネクタイも不要。  会社同僚は家族づれで出席する。
中には作業服姿で30分位遅れて来る人もいる。
司会者が喋るのは,時々,本の二言三言 新郎新婦紹介だけ、
それ以外挨拶、余興等一切なし。


結婚パーティ
参列者約200人。こちらの良いところは背広もネクタイも不要。
会社同僚は家族づれで出席する。
中には作業服姿で30分位遅れて来る人もいる。
司会者が喋るのは,時々,本の二言三言 新郎新婦紹介だけ、
それ以外挨拶、余興等一切なし。

皆で歓談しながら食事をし酒をつぎ、めでたい2時間を過ごす。
それでいて満場は結構ワイワイ盛上がり,皆が喜び楽しみ合う。 非常に自然体なことだ。

日本に比べ,至って肩のこらない。
これが極く普通の結婚パーティーだそうだ。ーーー

会社での仕事ぶり
仕事でも,日本では時間も約束も,決められたことは キチッと守る様に仕向けられる。
こちらでは約束とはいえ,お互いに個人事情を認め合い (?) 10分位遅れて始まる。
しかし,時間になったら会議途中でも ピタット止める。
如何にも庶民的な人間らしい一面を感じる。

というより,『日本人程 そんなに ギスギスと・・・仕事熱心 という感じではない 』ということだが,日本人とは 「約束の時間は守れ!。結論はどうなんだ?」・・・とよく論争になる。

しかし,それでも 近隣諸国との競争激化に伴い, 彼らなりには 以前に比べると , かなり ギスギスしてきたと感じるそうだが・・・,台湾企業といえども 次第に・・・,エコノミック族は 経済進出に熱心なあまり,個人事情より理屈を優先させる様になってきた 。
理屈を盾にして攻めれば本来の人間らしさはどんどん遠のく・・・。


台湾の街角 - ,PART - 1, 2, 3, 4, 5.