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台湾の街角 - ,PART - 1, 2, 3, 4, 5,


街角の風景,生活経験,台湾の人々,・・・etc.
私の目を通して見たこと 感じたことを 私の表現で書き綴っています。

25.六順山(3106m)登山
2003-02-28 〜 03-02
会社の山岳部 - -
メンバー皆,壮々健々たる20〜40才代。
それが 台湾中央山脈のど真ん中にある 標高3000mの
山に 挑戦するという・・・。 
しかし,『徒歩で登る高度は1日に上る標高差は300〜400mで, 道もなだらか・・・ 』と言う。
台湾に なだらかな山なんかあるのかどうか?・・・, チョッと信じられないでもない・・・。 私の体力では不安では残るが・・・, 結局 皆と一緒に出発した。

♪ 【 台湾中央山脈(丹林大道) 】
--
水里から7:00 am出発。 国道16号線, 川沿いの道を一路 「西」 に進路をとる。
最初,広くて大きかった川幅は刻々と狭まる。 同時に,道幅は1車線に狭まり,舗装もガードレールもなくなった。

坂は更に急に, 車の揺れは更に激しく,速度は 20km/hが限度になる。
そして,断崖は余りにも垂直なため,車窓からは顔を則り出さないと 谷底は見れない。
通過する道路にも・・・,対岸の山にも・・・,至る所に 崖崩れ跡が生々しい。
そんな道を ものすごい砂埃りを 巻き上げながら登って行く。

車の中は 激しい揺れに身を抗すれば結構疲れる。
しかし,力を抜いて なすがままに委ねれば絶好のマッサージにもなる。
こうして,4時間半, 11:30 am 標高 2,400m の七彩湖登山口(駐車場)に到着。
ここまで来ると 周囲を取り巻く3000mの山脈群が低く見える。
空気は冷たく,陽射しは強く・・・,下界から持ちこんだ菓子などの密閉袋は 膨々に膨れあがり・・・,自ずと標高を意識する。

♪ 【 登山口 → 七彩湖(山小屋) 】--
ひとまず昼食の後,メンバーは女性3人を含む17人 と案内人2人≪計19人≫。
12:15 pm 愈々歩行開始。 予定時間は≪4 時間≫だったのだが・・・。
私は約4時間は先頭グループで頑張ったが,目的地はまだ見えない。
"これが 最後の峠かな・・・?" と思いながら登り着くと,道はまた延々と延びる。
この頃には 前後に仲間の姿も見えない。 リュックの重さが 肩に痛く食込む。
この標高では 少し動くだけですぐ息が切れる・・・。
しかし,早く着きたい思いで "歩行ペースが早まるのをコントロールできない" 。
・・・でも,しんどさには抗しきれず,時々立ち止ったり,休憩したり,後続の何人かをやり過しながら・・・,17:30pmやっと目的地に到着した。

♪ 【 山小屋の夜・・・ 】--
宿泊は七彩湖畔でテントを張る予定だったが,山小屋が空いていたので これに泊った。
勿論電気はない。 案内人が準備して呉れた食事を・・・ 皆で懐中電灯で照らしながら食べた。
夜になると 標高2800mの強い風音がビュービューと唸りをたて、小屋内外ともに冷え込んだ。
しかし・・・,もっと感動的だったのは,それは 空一面,全天空に こぼれ落ちんばかりに輝いている星空 だ !!

真っ暗な山上では一個々々の星は結構明るい。
しかも それが 一寸の隙間もないぐらい・・・ぎっしりと詰っている。
下界に比べ 高地の星はまばたきをしない・・・。 日本に比べ オリオン座は真上に,北極星は地平線のすぐ近くに見える。 銀河もはっきり見える ・・・etc.etc.・・・。

♪ 【 六順山(3106m)登頂 】--
今日は六順山登頂≪標高差 300m,往復10km, 全行程 5時間の予定≫に挑戦だが・・・,重いリュックもないので,昨日よりは楽勝と思って出かけた。

この当りから見る風景は 抜ける様な青空を背景に・・・,
- 遠景の山脈群は,紫青く 明瞭な輪郭を幾重にも描きながら堂々と横たわり・・・
- 眼前の尾根や山峰は 谷間のずっと下方まで一層 鮮やかな緑と若草色の光彩を投げかけ,
- 白雲は それらの 前後・左右・上下を 連絡船の如く・・・結構忙しく往来 している。
- 強く吹きつける風音は 時に冷たく,時に心地よく,これらの風景を もっと 感動的 にする。

しかし,私の誤算はこの尾根の縦走だ・・・!。
つまり,六順山に着くまで 尾根には 100〜200mぐらいの起伏をもった山が幾つも連なっている。
これを一個々々超えなければならないので 何回も登ったり,下ったり・・・。
それが 往きも帰りも・・・ 歩いて上る高さを合計すると 最初の考えより・・・何倍も 高い山に登る計算になる。
傾斜も急だし・・・,私など 標高 3000mの尾根移動は 壮健な 若い人の様にはいかない。
少し行っては休み・・・, 辛うじて列の最後グループに付いて 11:30am やっと 3106mに登頂できた。 帰りは ここを12:30出発 同じ道を引き帰し,七彩湖畔に向かった。

♪ 【 七彩湖畔 】--
六順山からの到着が まだ陽の高い時間だったので 七彩湖畔でひとときを過した。
七彩湖は直径 200mぐらいの小さな湖。 そこから 1km ぐらい離れたところには直径50mぐらいの真ん丸い 目玉の様な湖(後湖)もある。
この当りの地形は 太古 海底の堆積岩が 地層の褶曲で持ち上げられ,更に複雑な断層により破砕された地形で,火山性の溶岩などは一片も見られない。
しかし,どの様な過程で形成されたのか分らないが火山性のカルデラ湖そっくりの景観だ。

湖面には ・・西に傾きかけたオレンジ色の斜陽と,周囲を取り囲む長〜い山影が対照的にコントラストを投げかけている。
そんな湖畔を しばし散策しながら, 皆が 思い々々の時間を過した後,山小屋に帰った頃には太陽は 西の空,足許よりも低い位置から オレンジ色の 間接照明の光線を投げていた。

♪ 【 原住民とのふれあい 】--
この夜 地元の原住民も 10人余り 山小屋に上がってきた。 
そして彼らは ファイヤー(火)を囲んで 原住民の 伝統の踊りやゲームなどに興じた。 
勿論,同宿の 私達も 一緒に 輪になって踊ったり 騒いだり・・の 2時間あまりは結構楽しい。

♪ 【 下 山 ; 山小屋 → 登山口 】--
愈々最終日。
7:20 am 今朝は真っ白に霜の降りている道を,私は先頭に立って 鮮明な足跡をつけながら下山開始。
一片の雲も 見当たらない真っ青な空と,山脈群と その下方に広がる雲海が見事に美しい !!・・・。 これを写真に撮ろうと思って進むが・・・,道路からは 土手あったり,樹の植えこみがあったり,小山が入ったりして 中々シャッターチャンスが掴めない。
しかし,重いリュックを背負って 脇道に入る余裕もないし・・・, そうこうしている間に自分が雲の高さまで降りてしまった。

私は 先頭グループで さっさと,かつ黙々と歩き・・・, 3時間あまり殆ど 一人で歩きして登山口に着いた。
それから約30分後 後 全員が到着し,早速案内人の準備してくれた昼食を立ち食いしたが・・・,これがまた美味しくて・・・,何杯 お代りしたか数えていない。

♪ 【 登山口 → 高雄 】--
その後 12:00出発。 来た時と同じ 断崖絶壁の 凸凹道に揺られ,凄い砂ぼこりを巻き上げながら下山。 途中 水里で夕食をし 21:30全員無事 高雄(会社)に 到着した。

-------- - - - - - - - - -See-- 2003-03 七彩湖・六順山 キャンプ



24.和平記念日台湾の歴史)
2003-02-28
台湾の歴史について書くのは・・・私の薄識加減を曝すことかも・・・知れない。
しかし, 間違があれば,また誰かから指摘を戴き,後で訂正することで了解願いたい。

台湾では 1600年台 オランダやポルトガルの侵入を 鄭成功が征圧し,以来 中国本土福建省からの外省人や,広東省からの客家などが大挙 移住して来た。
そして,それ以前に住んでいた 多くの原住民は征服されたり,彼らと同化したりした。
しかし,高山に住む 少数の民族(9族)はそれを免れ,伝統・文化を現在まで継いでいる。

そして,1842年 清朝がアヘン戦争に破れると,再び ヨーロッパや日本など 列強の脅威に曝され・・・,結局は 日清戦争に勝利した日本が支配することになったが,この日本とはその後激しく衝突する
所となった。
これに対し,日本は”台湾総督府” をおいて 抗日運動を徹底的に抑圧した。

抗日運動で悲劇の舞台になり,有名なのが 霧社(ウーショー)で,ここには その犠牲者を弔う”霧社抗日起義記念碑”が建っている。
霧社は 埔里(プリ)近くの山間に位地し,その景観も合わせ,今は観光スポットになっている。

しかし,1945年 第2次大戦で日本が敗れ,台湾は中国への復帰が決まり,再び中国本土から大群をなして移民が押し寄せ,戦前からの住民(外商人達)と激しい摩擦が起こり,そして遂にの怒りが爆発して・・・,1947 台湾各地で暴動(二・二八事件)が勃発した。

更にこの頃, 毛沢東軍に追われて 蒋介石軍も台湾に侵入した。
蒋介石軍は,住民を武力で 激しく圧迫し,おびただしい数の犠牲者をだしたが・・・,その後は結局,蒋介石軍により制定され 現在の状態に落ちついた。
こんな歴史過程から 今日≪ 2/28≫ が 『和平記念日』 と制定されたのだと思う・・・
台湾は休日
である。

しかし,その時 蒋介石 自身はそのまま台湾に留まろうとしていたのか,それとも中国本土に復帰を考えていたのか・・・私の知識では分らない。
しかし,台湾の街中には 至る所に蒋介石の銅像が建ち, また蒋介石を意味する{中正 }という地名や道路,建物などが あちこちに見られる。



23.高雄 燈会 提燈祭り
2003-02-14
高雄 燈会 提燈祭り Kaohsun Lantern festival

--恒例, 高雄の街が沢山の電球で飾られる花橙祭が2/14(金)〜23(日)まで開催される。
これは旧暦1月15日から 約1週間,高雄以外にも 台北と台中が花橙で飾られる。.
その中でも 今年は
台中 がメインの舞台だそうだ。


高雄のMAIN会場は愛河の両岸約2kmの公園一帯だが,夜になると・・・,あの広い公園というか道路(公園横の道路は車が通行止めになる)にも, 大勢の人が繰り出し・・・,皆についてぞろぞろ歩きしかできなくなる。

ここの美しさ・・・,それは,それは・・・!!
それにしても この広いエリアに すごい数の提灯あり,漫画の主人公や ニュースの主役動物の像や・・・などの芸術作品の数もすごい。
噴水ショーも,・・・・, 愛河に架かる橋も ・・・,沢山の出店も・・・,それから時々打ち上げられる花火も。  ・・・こうして無数の色とりどりのライティングは 水面に反響し,こだまし,心地良く揺らぎながら 真っ直ぐに川を渡って来る。

それに,対岸から 生放送のされている テレビか ラジオか・・・,サテライトから スピカーを通した音声も,花火や,人込みの色々な騒音も・・・,そよ風と共に渡って来る 。
一晩で何十万人(?)・・・,ぎっしりと詰った通行人の中,若い女性達や アベックの手首には光の環がはめられ,胸には光のブローチが付けられ・・・。
札幌雪祭り, 神戸のルミナリエとは またチョッと 趣向の違った台湾 ”総合 ライティング芸術ショー” と言っておく。

こうして 一人で歩いて・・・ 何も気づかない間に 3時間?,4時間?の時間がたっていた。
・・・ 開催時間は18:30〜22;30というが,実際は沢山の人も露店も・・・。
今日(初日)は金曜日ということもあってか, 夜12時 過ぎてももまだ,ライトは消えず,人々は静まる気配なく 賑わっていた。
-----------------------写真 ----See-- 2003高雄燈会(ランタン祭り)


22.台湾の正月
2003-02-01
panda.gif
祝イ尓 新年快楽 !! A happy new year!
 日本では 旧暦で言ってもピンと来ないと思う。 しかし, こちらは今が正月の真っ最中。
先週も書いたとおり休みを利用して 里帰りや,家族づれ旅行や,海外旅行も・・・日本と同じだし,正月には寺社詣も,親戚やお世話になっている人への挨拶廻りの習慣も日本と同様だ。
テレビについては ニュースでは連日正月のニュースは報道されているが・・・,こちらのケーブルTVは 数十局もチャンネルがあるので 日本の様な「正月特別番組」を組む局があるのかどうか 確認してない。

少し違う点は新年を祝う爆竹花火が 連日,夜中の 0:00時頃まで 街のあちこちから,頻繁に打ち上げられること・・・。
それに,一般的な給料金額こそは 日本の方が高い・・・, しかし,生活の楽しみ方は 台湾人の方がずっと上手だから, 色々な所に出かけたり,家族での行楽も盛んだ。

それにまだ・・・,正月期間中 全部の車は 高速道路に入る全ての入口でチェックされ,大型トラックは入れない。 1台に3人以上乗らない乗用車も通行できない。
こんな施行が タイムリーに立案され さっさと実施されることで 渋滞も・・・最小限に留め,公共道路は有効且つ効率的に機能する。 しかし,それでも 渋滞解消は容易でないのだが・・・。



21.テント小屋
2002-03 〜 2003-01
それとこちらの テント小屋の話であるが・・・,結婚式,葬式,祝賀会,忘年会,その他 何でも・・・,儀式が催される時は 100人,200人〜400人ぐらい収容できる 巨大なテント小屋が簡単に建てられる。
テント小屋は広場は勿論,日本と違って 多くの場合 歩道や,結構通行の激しい車道の一部も占領して堂々と建てられ その中で 色々な儀式が執り行われる。
勿論,用済み後は直ちに撤去されるが,葬式などの場合は 1週間ぐらい儀式が続く。

  2002 3/29(金)【 結婚パーティ Wedding party 】
台湾では暑さの関係か 冬11月頃〜3月頃が結婚シーズン。 今日は会社の 私と同部署で働く人の結婚パーティに招かれた。
今回は自宅前の路上でパーティが開催されるというので,日本では想像できない。
パーティ会場は 自宅前の 歩道全部と,結構通行の激しい車道にも1車線ぐらい占領して大きなテントハウスが設けられる。
パーティは 例によって会社の業務終了後 18:30 から始まり,堅い挨拶などは何もない。
服装も軽装,作業服あり,自由。 遅れて来る人もある。
テントの中は 外気の風に吹かれながら,皆が形式に捕らわれず,全員(2〜300人)で食事し,打ち解け,賑やかし,祝いあう。
この雰囲気は・・・日本では チョッと味あい難い 独特なのである。

2003 1/17(金)【 忘年会 Year end party
台湾では正月は旧暦祝う習慣なので,いまどきが忘年会シーズンになる。
「私は 2社に通っている」と言ったが その中の1社(従業員 約150人)全員で簡単な忘年会を行った。
忘年会は 会社とか,各職場とか,グループとか,個人仲間など・・・自由に集って行われるのは日本と同じであるが・・・,異なる点は,多くの場合,特に会社とか,職場とか 大きな単位の集合でもアルコールはほんの僅かしか入らない。
殆どの人は車で来て,アルコールは飲まないで,歓談する。 食べ終わったら車で帰る。
中には 夫婦づれで来て(運転を奥さんに任せて)飲む人もいるが,食物の量は食べ切れないだけ沢山なのに,酒の量は日本に比べ何分の一かである。

それとこちらの テント小屋の話であるが・・・,こちらは一年中暖かいので・・・,その中は 半アウトドアーな雰囲気で 中々快適である。


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