【総括項目 Item in Nov. 】
10/ 31 Mon 〜 11/04 Fri ≪バンコク ツアー旅行 ≫
11/ 05 Sat,06 Sun ≪今週の神の倉 ≫
11/ 12 Sat,13 Sun≪週末の神の倉 ≫
      平和カップ2005 in広島(パラグライダー大会)
11/ 18 Fri ≪ 耶馬渓 バス ツアー・・・ ≫
11/ 19 Sat,20 Sun ≪今週の神の倉 ≫
11/ 23 Wed(勤労感謝の日) ≪今日の神の倉 ≫
11/ 26 Sat,27 Sun≪週末の神の倉 ≫

  10/31 Mon 〜 11/04 Fri ≪ バンコク ツアー旅行・・・ ≫ 
 特に定かな目的ではないが,何となく出かけたい感じになった時,タイミングよく旅行パンフレットが送られて来ると,時として気分が進んでしまう。  勿論,我が家では高価なものは頭からダメ・・・だが,≪バンコク 4泊5日=(新幹線代込み)2人で10万円≫とあった。  タイは行ったことはあるが旅行は初めてだし・・・,その時点での最早(約 2週間後)出発分に申し込んだ。
    出発;10/31(月)〜帰国;11/04(金)。

  10/31 Mon
 関空18:45発に合わせ我が家は午後出発。 広島駅から新幹線で空港に向かう。
飛行機は出発が 1時間弱遅れ バンコク空港(出口)は現地時間 23:30,ホテル到着は 24:20。 それから荷物整理やシャワーを済ませ,翌朝は 9:00出発といっても時間的にはかなりタイトになった。

  11/01 Tue 〜 03 Wed.
 今日から3日間,”のんびり”,”ゆっくり”よりも,私たちの旅行はいつも,時間は最大限効率的に,できるだけ沢山 見物する・・・要するに≪貧乏旅行≫タイプ・・・だ。
旅行全般については,後日旅行記で紹介する予定なので,ここではその一部だけ・・・。

王宮とエメラルド寺院
タイ王朝歴史の中で最も新しい現王朝≪ラタナコーシン王朝≫の王宮。 どのバンコク市内観光にも必ず含まれる最名勝。
現王朝は 1767年アユタヤ王朝滅亡後,ビルマ軍やタクシン王との内乱を経て1780年代に誕生した。 初代王ラーマ1世はこの地に移り,アユタヤ王宮の宮殿を模して生活や政務を行う王宮や寺院建立に着手した。 以後歴代の王により現在に至るまで建立が続けられ,白壁に囲まれた広大な敷地には,それは,それは・・・荘厳華麗・極彩色に輝く王宮,寺院の数々,宮殿群,芸術の粋を尽くし金銀宝石が散りばめられた建物や調度品など,歴代王朝の偉大権力と財力の限りを見ることができれる。
現在は国家的儀式や祭典,迎賓館として利用されている。
  
王宮とエメラルド寺院
        
 世界遺産 アユタヤ遺跡
アユタヤは1350年にウートン王により開かれたアユタヤ王朝の古代都市。
チャオプラヤ川や支流の水利に恵まれ16〜17世紀には中国,インドナシア,日本などのアジア諸国やポルトガル,オランダなど西洋諸国との交流の拠点として全盛を極めた。
しかしアユタヤ王朝 400年の歴史はビルマ軍の侵略が絶えず,決して平穏なではなかったが,1767年ビルマ軍の侵略により滅亡の時,かっての美しい都は建物も仏像も徹底的に破壊され,無惨に荒廃した見るからに痛々しい姿を現在」も残している。
アユタヤ遺跡

 タイ旅行は・・・,
人によっては≪何処に行っても似た様な景色や物件が移り変わるだけ・・・≫かも知れない。
しかし,次の様なことに 少しでも関心をもって廻れば,それはそれは・・・非常に興味深い沢山の発見の宝庫である。
@宗教は,7-13世紀にカンボジアに展開したクメール王朝以来 上座部仏教を受け継ぎ,絢爛豪華な仏教建築や仏教遺跡が国中至る所に点在している。 
A政治的には王政で,代々の王朝の変遷が,それぞれ特長のあるタイ国の歴史を創っている。
B地形的には 日本の1.4倍の面積があり,殆どが真っ平らで 川や湖沼,水利,緑の平野が美しい。
Cその他・・・タイ舞踊,タイ料理,民芸品,国民性,現在の国際的ポジション,etc・・・。


喧騒と活気あふれるバンコク市内
車中からは,ガラス張りの高層ビル群と活気満ちあふれる経済,国際都市と車の渋滞,容赦なく照る太陽,昔ながらの庶民生活,食物のにおいと雑踏・・・そんな組合せが心を打つ。



水上マーケット
「東洋のベニス」と呼ばれていた頃の古き時代の面影を残す。 縦横に張り巡らされた水路をモータエンジンのついた小船で行く。 
新鮮な果物,民芸品,日用雑貨,衣類などの店がならんだ水路をめぐり,買い物や タイ人と和やかな値引き交渉を楽しむ・・・。



ワット・アルン(暁の寺院)
高さ79mの大仏塔は 中国の極彩色の陶片やガラス片がびっしり,太陽に輝いて実に美しい


象乗り体験
象はタイの象徴的動物。 私達が乗った象は観光客2人が乗ってのっしのっしと歩く。ぞうの背中に乗ると思ったより高く,背中の揺れは想像していた以上う〜ん・・・動物的だ。


タイ舞踊
素朴な民族舞踊と豪華な金糸銀糸の刺繍や宝石飾りの衣装を着て踊る古典舞踊がある。 動きは一つひとつ喜び,怒り,悲しみ。祈りなどを表し,指先の動きは独特・・・。


だけどこうして書き始めると,ちょっとキリがなく続きそうなので,ちょっと日数は掛かるが,
この続きは(というより全体を改めて)旅行記にする。


  11/ 05 Sat,06 Sun≪週末の神の倉 ≫  
神の倉TOの紅葉     2005 11 05
11/ 05 Sat   
朝から明るい晴天に若干の積雲が浮く絶好の天気。
旅行にでた関係で,先週も,11/03(文化の日)も全く飛んでいないし,明日は雨予報だし,『今日こそは・・・』と,勇んで神の倉へ行った。
12:00頃 荒谷TOに上がると南西風2〜3mぐらい。 しかし模型グライダー愛好者が飛ばしていた状況で,テークオフ正面に弱いサーマルがあるが,パラが上がる程ではないことが予想され,既に上がっていた車1台分の常連メンバーは サーマル発生が待ちきれない表情で,懸命に堪えていた。

しかし,堪えきれなくなると 『TOから半径50mしか移動できない彼のグライダーが当てになるのか・・・?』と,もっと冷静になって,広大生何人かがテークオフした。   南の小山付近に行ったり来たりしていたが,「沖に出せ・・・!!」と,TOからの指示などもあって,何機かは更に高く上がって行った。

当然後を追って河原さん,是枝さん,原田さん,児島,稲垣さんたちもテークオフし,大体半数ぐらいは上げて行った。 しかし残りはぶっ飛びに近い状態だった。  弱いサーマルブローがはいったり,無風になったり,風向きも一定しないで,確実に上がるというコンディションではなく,私は 最後の1人になるまでテークオフを渋っていた。


しかし,同じくぶっ飛び隊の 松代さんから 『サブランに降りたが,神の倉TOに上がりたい・・・』 と無線があり,結局,私はテークオフを諦めて,車で下りた。

サブランには松代さん,徳永さん,河原さん,田中さんがいで一緒に神の倉に上がった。しかし,神の倉TOもコンディションはあまりパッとせず,原田さん,石井さん,稲垣さんが少し上げて南屏風にへばっていたが,結局沈んでしまった。 その頃私も南屏風を目指していたが,私は辿り着くこともできずMLに沈んでしまった。

その後,河原さんが 『荒谷の風になった !! 』 と得意そうに言うので,一旦諦め,仕舞っていたグライダーをもう一度取り出して荒谷TOに上がった。 しかし,結果は何のことはない。 私,メンデルさん,石田さん,河原さんの順に全員がMLまでぶっ飛んだ。


11/ 06 Sun   
今日は前日からの予報通り 雨の一日


  11/ 12 Sat,13 Sun≪週末の神の倉 ≫

        平和カップ2005 in広島(パラグライダー大会)
11/ 12 Sat
スタッフ集合時刻 7:30 というから,自宅出発は6:30。 それでも神の倉に到着すると,スタッフも選手も,もう大勢集まって寒さに震えていた。 風向は北西だが,ちょっと強め 神の倉TOでは瞬間的には 10m近い。 ≪これではちょっと・・・≫という訳で・・・準備のペースをゆっくりして,しばらくは殆ど雑談の合間に必要なものを揃えたり点検したり・・・といった状態だった。 ただ広大生だけは暖かいおでんや汁物,コーヒーなどを売ることに精をだしていた。
だけど以前の様な≪勇ましい口上のお姉さんたち・・・≫というより,傍目では上品で可愛い・・・そんな美貌に客が引きつけられるという感じだったが,果たしてクラブ資金はどのぐらい集まっただろう・・・。

10時頃 各スタッフの役割分担を決めた(私はTO担当になった)。
そして,開会式が始まったのは 11時過ぎ。  ≪今日のテークオフは神の倉≫と決まり,機体を石田さんの4Tトラックにまとめ,選手(72名)とTOスタッフは別の車に分乗して昼頃TOに到着した。 しかし,風は依然として強く,ハングは怖いぐらいの上昇率で上げていたが,パラは 13:00頃になってやっとダミー1機が飛んで上げて行った。 それから20〜30分後,他のダミーや一部の選手のテークオフが開始した。

14:00過ぎからは風も治まり,以後 16:00(フライト終了時刻)まで,絶好のパラグライダー条件になって,神の倉のまっ青い空には,突然 40機以上が同時に浮かび,何か・・・≪色とりどりの怪鳥の大挙襲来≫を思わせる光景になった。
こんな風景を見ると,広大女性群は誰も要求もしない,互いに話合う訳でもない,なのに何故かまた・・・,今度は背の順にきちんと整列し直し,4人が揃って≪何ポーズ?≫というのか 可愛いポーズを,一糸乱れず何度も繰り返し始めた。( 参照

これで大会成立は確実,大会委員長他はホッとしていた。 ・・・が,それも束の間,直後には一気に提出された 70数人分のGPSデータを,薄暗く,吹きさらしの寒いテントの下で,延々と一々丹念にチェックし続ける姿が衆目をひいた。  しかし衆人はそれを心に留めながら,敢えて逃げる様に 次の予定の 18:30開始 夜の部 "パーティ"会場≪リンダル≫に移動して行った。
大会首脳部の方は勿論,選手の皆さん,私以外のスタッフの方・・・ご苦労様です。

開会式

TOでの競技ルール説明



広大女性群の ?? ポーズ → 拡大写真
夜の部 ; ≪リンダル≫での "夕食パーティ"


  11/ 13 Sun

スタッフ集合時刻 8:00 に合わせ神の倉に到着すると,山の中腹には一面に雲(霧)が這っていた。
しかし天気;晴れ。 風は昨日と違って穏やかなので,この霧が晴れると 『パラにとって絶好のコンディションはになる』 と,関係者全員信じて疑わず,勇んで準備に掛かった。

≪今日のテークオフは荒谷山≫と決まり,早々と機体を石田さんの4Tトラックに載せ,選手とTOスタッフは約 10台の車に分乗してTOに上がった。  所で,そのMLから≪中腹の雲(霧)≫は,荒谷TOからは見事な雲海だ !!
上空はすっきりと青空。  足下には たっぷりと水量を増した雲水が,三次,向井方面から北よりの風に乗り,滝になったり,急流になったり,淀んだり・・・しながら,白木,有留の谷間を,下流に向かって洪水の如く一目散に流れて行く・・・。
ここに来た全員はそんなダイナミックな美景にしばらく魅了された。

所が一方では,霧の晴れるのを今や遅しと,競技のパイロンや周回コースも決まった。  そして霧(雲海)が晴れた時が競技スタートの段取りだが・・・。  しかし霧(雲海)は中々消えず,12:00過ぎまでかかった。
そしていよいよ競技開始だが・・・!! ,所が,ところが・・・,逆転層がしっかりし,そのうち高層雲も覆ってきて全くサーマル雰囲気にならない。

そのまましばらく待機したが,今日は大会終了時刻の制約もあり,遂にコンディションは回復せず,やむなく大会はキャンセル,MLまでぶっ飛びターゲット大会になってしまった---残念 !! 。  しかも,それも終わりに近づくにつれ荒谷TOの風は若干フォロー気味に変わり,何人かスタチンもでる有様になったが,ともかく怪我も機体の損傷もなく大会は無事終了,表彰式は昨日の成績により行われた。

今日の日程 ; 荒谷山の雲海鑑賞 - ぶっ飛び ターゲット大会 - 表彰・閉会式

平和カップ2005 in広島(パラグライダー大会)拡大写真
*

  11/14 Mon 〜 18 Fri
   11/ 18 Fri ≪ 耶馬渓 紅葉バス ツアー・・・ ≫
この所ず〜っとドライブに出ていない。 とは言っても,何処かに出かけようにも,特に目新しい所もないし,ガソリン代も高いし・・・と考えると,中々気が進まないのが実情である。
しかし,今 紅葉のまっ盛りに,毎日々々家で過ごすのも能がないし・・・。  偶にはバスツアーで行くのも,同じコースを通っても≪何時も奥さんと二人だけのドライブとは違った雰囲気で,違った発見もある≫。

我が家の旅行は(私も奥さんも)どこか,違った所で,きれいな景色を見ることが気分転換だから,温泉には大して興味はないし,美味しいものを食べるためにわざわざ出かけよういう気もない。
そんな訳で今日は,比較的遠方で,昼食付き 4,980/人という一番安いツアーに申し込んだ。

 朝 7:30 ;広島駅北口発→中国道→ 壇ノ浦SA → 小倉東IC 椎田道路 →
青の洞門 ≪昼食・散策 12:00〜13:00 ≫ → 深耶馬渓≪散策≫ → 玖珠 15:00 →
大分自動車道・九州自動車道・中国道 →広島駅北口 20:30着
≪耶馬渓≫
 耶馬溪は大分県を代表とする景勝地で,山国川の本流,支流の両岸は荒々しい岩肌が狭り,紅葉の景観は特に美しい。

≪本耶馬渓(本耶馬渓町)≫,≪裏耶馬渓・深耶馬渓(耶馬渓町)≫,≪奥耶馬渓町(山国町)≫に分かれ,
≪本耶馬渓≫は主に山国川沿いの青の洞門周辺,羅漢寺のある羅漢山一帯の競秀峰群からなる。
≪裏耶馬渓≫は山国川の支流に開け全長約8km。 
≪深耶馬渓≫は山国川の支流(山移川)沿いの渓谷で,狭谷に絶壁や石柱が屏風のように連なり,一目八景からの展望は
見事で秋の紅葉が美しい。
≪奥耶馬渓≫は守実温泉から英彦山東側までの約16kmの山深い渓谷で甌穴群(天然記念物)が見られる。

≪青の洞門≫
その歴史的経緯は頼山陽の「耶馬渓図巻記」,菊池寛の「恩讐の彼方に」,田山花袋の「耶馬渓紀行」等で有名。

その昔,ここは中津藩と天領日田の交通要所であったが,水量の絶えない山国川の辺り競秀峰の大岩壁は
その崖道を通行する人馬が何人も川に落ち流されるという難所であった。
偶々,諸国行脚で耶馬渓を訪れた禅海和尚が これを見て,大岩壁にトンネルを掘るという一大誓願を起こした。
そして初めは村々を廻り,村人に熱心に説いたが誰ひとり耳をかす者はなかった。



しかし,人を殺めた償いにトンネル掘削を決意した禅海(当時49歳)は,享保20年(1735)独りノミとツチをとつてこの大岩壁に挑んだ。  当初,村人は痴と笑い,狂と誹り・・・,
けれど念力堅固な和尚のツチの音は日に月に冴え, 年々洞は深さを増し・・・,しかし,ようやく和尚の不動心は村人の心に浸み渡って和尚と共にツチを振う様になった。 そして皆の力を合せて 30年後,遂にこの洞門は完成した。

当時 長さ; 308歩。広さ;騎馬の人の頭上なを 3尺余。 今は車が通るトンネルになっているが、昔の素掘りのトンネルも一部に残されている。

≪深耶馬渓(一目八景)≫
山国川の支流、山移川に沿った景勝地。奇岩奇峰が林立し,変化に富む景観を織りなしている。
耶馬溪一番の景勝地である「一目八景」は,8つの奇岩が一望できることから名が付いた。  展望台があり,カエデ,モミジ,イチョウなどが紅葉が美しい。
 



  11/ 19 Sat,20 Sun≪週末の神の倉 ≫
11/ 19 Sat
  正午頃 神の倉に着いた。 雲量はちょっと多い,風は北西ちょっと強めだが,フライヤーは誰もいない。 飛べないことはなさそうだし・・・,いつもならかなり強風でも必ず何人かは集まって来るのに・・・。
ただ今日は四国三郎の大会に何人か行くとは聞いているが,それにしても・・・。取り敢えずコンビニ昼食を買い,食べ終わってもまだ誰も来ない。  どうして?,それにしても『何か怪しい・・・』。 

13:00過ぎ,漸く向井さんと山崎さんが来たが・・・,やはり何も聞いていない様だ。  う〜ん,手始めに竹井さんに電話してみると『プレジャークラブは今日は来られない・・・』との返事。
勿論,絶対に来ない筈のない稲垣さんにも電話してみた。
すると,やっぱり・・・『稲垣さん,高石さん,河原さん,田中さん,阿部さん,中村さん(6人)は美馬(四国三郎の大会エリア)に来ている・・・』だった。

神の倉はこんな代表メンバーが総ヌケすると,本当に灯が消えた様になる。
でも,14:00過ぎると勇さん,児島さん,斉藤さんだったか(?)と誰だったか・・・,ともかく4人が来て神の倉TOに上がった。  今日は後にも先にもこれだけのメンバーで1本だけ飛んだ。
コンディションは北西風リッジ,高度;+100m止まり,フライト時間; 約20分・・・。



11/20 Sun
  山本さんや稲垣さんグループなど 神の倉を代表する主要メンバーは四国遠征中だが・・・,朝から天気は好いし,今日はプレジャークラブも挙って来るというので,そこそこの人数は集まってくるだろう。

11:00頃神の倉到着すると,是枝さん,原田さんが荒谷TOに上がろうとしており,便乗させて貰った。
風も好い,サーマル雲も出来始めそうな気配だし・・・今日は期待が持てそうだ。
そして間もなく,足刈さんやプレジャークラブの面々も大挙して上がってきた。

是枝さん,原田さんは何やら白木山を目指す話会いをしている。 足刈さんも同じ様な考えらしい。 そして 12:30過ぎ頃から14:00頃にかけては雲の状態もよくなり,ポツリ ポツリ・・・全員テークオフして行った。

勿論,私もテークオフした。 何か久方ぶり・・・,TO近辺で大した苦労もなく+300mぐらい上がった。 +1,000mぐらい上げている人もいる。
そんな猫尺状態をしばらく楽しみ,どうやら是枝さん,原田さん,足刈さんは目的地に向かい,小田さんは ”かたくりの里” 方面に走った様だ。
私も≪神の倉へ谷渡り,or南方面へクロカン練習,orもっと高度を稼ぐ,or・・・≫どれでも好きなコースが選べる・・・。
だが,今回はそんな決断をするでもなく,その辺をうろついている中,何か自然に≪南方面へクロカン練習≫に向かった様な感じになった。
所がMLの線から更に南下するにつれサーマル成分が全く見つからなくなり,次第に高度が下がってしまった。

『大力鉄工付近まで行けないことはないだろうが・・・,私1人のために回収を頼むのも・・・』と考えると,やっぱり今回は諦めてMLに引き返すことにした。(高度;+500m, フライト時間; 約30分)
『TO付近で もっと大事に飛んでいれば,もっと高い高度で,1時間以上は楽勝にフライトできたのに・・・』と思うと余りに早くランディングしてしまったことに大きな悔いが残った。

2本目は16:00過ぎ,
今度は神の倉TOから≪金色に霞む夕陽を 真っ正面から浴び,山の斜面に自分の影を投影しながら・・・≫という幻想的な景色の中で飛んだが,フライトは単なるぶっ飛びしかできなかった。




  11/ 23 Wed(勤労感謝の日) ≪今日の神の倉 ≫
  1本目。 荒谷山TO 13:00頃,
天気;晴れ。 サーマルが出始まったがまだはっきりせず,何機かは上がったが沈んでいく機体が多い。 私はしばらく模様眺め・・・だが好い感じのブローが入り,『もう,そろそろ・・・』と期待を込めてテークオフした。 しかし中々巧くいかず,南前方の小山で一進一退 繰り返していたら,河原さんから無線で『頑張れ・・・!! 』と,誘導してくれた。  しかしやっぱりサーマルに乗り切れず約20分のぶっ飛びに終わった。
  2本目。 同じく荒谷山TO, 15:00頃,
今度はかなりの機体が高く上がり,かなり長時間飛んでいた。 
しかし,タイミング的には少々遅い・・・。 とにかく急いで準備しテークオフした。 TO南斜面でリッジをとりながら,トップアウトしたら,その辺でサーマルを見つけようと思っていた。

 しかし,結果はTO前のボールにズブズブ沈んでしまい,やっとの思いで南小山に辿りついた。 そしてやっとサーマルを見つけ旋回しようとするが,山に近く,私の高度が低いので思う様に旋回できない。  それでも『何とか・・・』 20分ぐらい必死に 頑張ったが,遂に小山の頂上まで抜けられず,遂に仕方なく向かった。 だが上手い人なら,そんなに苦労しなくても,もっと上手く上がっていたと思う。

それにしても,あんな一カ所で,上がりも下がりもせず,これだけ必死にへばり付くことは私には滅多にない。 是枝さんもそれを見ていたそうだが,何か私の下手さ加減を見られた様でちょっと・・・恥ずかしい感じだった。

  3本目。 
サブランに降りると直ぐ,阿部さんが回収に来てくれた。 そして 15:40頃,MLに戻と 稲垣さんが≪今日はちょっと欲求不満そうな顔≫で,『神の倉のアーベントを飛ぼう・・・ !! 』と誘っていた。 でも進んでTOに上がろうする人は少ない様だった所へ私が着いたから,すぐ話がまとまり5人で上がった。 しかし,アーベント条件には成らず,TO付近でしばらくリッジをとっただけの,約20分フライト。 ランディングした時,辺りはあちこちの田んぼから草焼きの煙が漂いのどかな夕景になっていtた。



  11/ 26 Sat,27 Sun≪週末の神の倉 ≫
≪川地塾 ; リスタートコース≫
私はパラが 『もう少し上手になりたい』 という気はあっても,その本気度というか努力度は,どう考えてみても他の上手いと見られる人の足下にも及ばない。  そう言う人は,既にエキスパートコースが開かれ,着々と腕が上がっていることは何回も述べている通りだが,今度は我々クラスにも・・・『リスタートコースを開設して欲しい』との申し出に対し,今回はその体験版が開かれた。

これには実をいえば 『開講を要望したい・・・が,川地塾長に関東エリアからわざわざ来て貰うには受講者数がちょっと少ない・・・』 ので続行できるか微妙だ。  それで受講者希望者数がもっと増えることを期待して,手始めに≪体験版≫が開かれた訳だ。
(ちなみに今回受講者は  11/26 ; 8人, 11/27 ; 7人)

そして,先ずはハーネスセッティングや,センターリングや,・・・その他 パラフライトに関するちょっとしたテクニックなどを聴き,実フライト指導を受けた。
受講内容をそのまま書くことはできないが,これまで10年も・・・我流で飛んでいたのが如何に非論理的で,非効率的で,それに安全性での問題点など・・・,この2日間だけで思い知らされた。

私の場合,ハーネス調整でかなり操作し易くなった。センターリングは かなり風下側に流されていることがよく分かった。  
川地塾長は,流石 世界でも超一流フライヤーだ。 我々の飛びは 一目見れば直ぐ問題点を見抜き,しかも理論的に解析し理路整然と説明してくれる。  だから≪怖い様な,恥ずかしい様な,でもごまかし様もない・・・≫そんな感じだが,やはり直に講義を聴き,ディスカッションし,実地指導を受けることは もの凄い有効だ・・・。

 願わくばこのコースが続行できる様,もっと受講者が増えてくること・・・ !!
P証所持者で,他にも受講希望者があれば 竹井さんが窓口になっているが,様子を聞いたり,ちょっとした取次は多くの神の倉メンバーからも可能なので是非 ・・・。  

 
      2005.11分 end
 2005.12分 → へ

ハーネス調整  ↑


フライト指導 ↑↓


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