タイの歴史的背景 ・王宮 ・遺跡 ・伝統寺院 etc |
タイ王国の歴史的背景・・・,
クメール王国(7―13世紀頃)
その昔,タイというよりインドシナ半島は,小部族があちこちに散在している状態。 国家という体はなかったが,しかし仏教の影響も大きいと思う。 次第に大きな集合となり,クメール人(カンボジア主要住民)中心にクメール国家に発展していった。
クメール王国最盛期は7―13世紀頃で,この地で展開したヒンドゥー教と仏教の美術を≪クメール美術≫と呼ぶ。 前期の7〜9世紀頃はインド美術のクメール化の時期で,高塔(プラサット)建築と丸彫の巨像彫刻が特徴。 9世紀にはアンコール朝成立し,アンコール・トムなどが建設された。
10〜13世紀は アンコール・ワットを典型とする広壮複雑な大寺院の建築が主で、幾何学的均整のとれた配置が特徴で, 12世紀アンコール朝の統治下,大寺院,アンコール・ワットや大宮殿,アンコール・トムなどを築きクメール民族の最盛期を迎えた。この頃,タイはクメール帝国の支配下にあった頃この地方に住む人々をシャム人と呼ばれていた。
しかし15世紀以降はタイとベトナムに興った王国に侵食され次第に衰微をしていった。
スコータイ王国(13世紀初ー1438)
≪クメール帝国≫の衰退とともに,13世紀の初頭,タイ民族により初めて建国された王朝で,タイ西北部スコータイに都がおかれた。
「シーインタラーティット初代国王」が「スコータイ朝」を建国。 3代国王(ラームカムーヘン王)が現代のタイ文字を生み出し,6代国王(マハータンマラーチャー1世,リタイ王)により,仏教を利用し社会秩序を守らせる為に『三界教』が作られた。
しかし【西洋暦1438年】に、アユタヤ王国に併合された。
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世界遺産のアユタヤ≪アユタヤ王朝(1438ー1767)≫
アユタヤはバンコクの北方
75km,約 1時間の位置にある。 アユタヤ王朝は
1350年にウートン王により開かれた。
爾後アユタヤ王朝 400年の歴史はビルマ軍の侵略が絶えず,決して平穏なではなかったが,チャオプラヤ川や支流の水利に恵まれ,全盛の16〜17世紀には中国,インドナシア,日本などのアジア諸国やポルトガル,オランダなど西洋諸国との交流の拠点として繁栄を極めた。
領土もカンボジアまで制圧した。 日本との交流も盛んで山田長政など移住者が集まり,かっては日本人町もあった。 しかし1767年ビルマ軍の侵略により滅亡した。 その時,かっての美しい都は建物も仏像も徹底的に破壊され,かっての美しい都は無惨に荒廃した見るからに痛々しい姿を現在も残している。1991年には世界遺産に登録された,歴史に満ちた町である。
アユタヤの遺跡観光は,私たちはできなかったが時間があれば,母なる川≪チャオプラヤ川≫を大きな遊覧船で,約5時間かけてバンコクに帰ることができる。 川沿いには華やかに装飾された寺院や,その周りには貧しい民家がひしめき,川の中に橋げたを立て,炊事や生活排水,排便・・・等,亜熱帯の蒸し暑さを回避する工夫が散見されるそうだ。
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ワット・アルン(暁の寺院)
バンコク チャオプラヤ川に面したワット・アルン(暁の寺院)。 アユタヤ時代の王侯の威厳を示す高さ79mの大仏塔は,中国の極彩色の陶片やガラス片がびっしりと貼りめぐらされ,それが太陽の光に輝き見事に美しい。 夕日を背に浮き上がるシルエットも趣がある。
三島由紀夫の小説・豊饒の海 第3巻『暁の寺』のモチーフにもなった。 ↓
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