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******* 2005 ** 10/31(月)〜 11/04 (金)** 【バンコク,アユタヤ 】 *******
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バンコク ・アユタヤ  【PARTーT】

  【PART-T】 【PART-U】

写真
【PARAT-1】 1.タイ王朝施設,寺院 
【PARAT-2】 2.バンコク街角スナップ


    【 PARTーT】 バンコク王朝施設&寺院 


 10/31〜11/04 ≪ バンコク ツアー旅行≫

 特に定かな目的ではないが,何となく出かけたい感じになった時,タイミングよく旅行パンフレットが送られて来ると,時として気分が進んでしまう。  勿論,我が家では高価なものは頭からダメ・・・だが,≪バンコク 4泊5日=(新幹線代込み)2人で10万円≫とあった。  タイは行ったことはあるが旅行は初めてだし・・・,その時点での最早(約 2週間後)出発分に申し込んだ。
      出発;10/31(月)〜帰国;11/04(金)。

  10/31 Mon ≪ 出 発 ≫
 関空18:45発に合わせ我が家は午後出発。 広島駅から新幹線で空港に向かう。
飛行機は出発が 1時間弱遅れ バンコク空港(出口)は現地時間 23:30,ホテル到着は 24:20。 それから荷物整理やシャワーを済ませ,翌朝は 9:00出発といっても時間的にはかなりタイトになった。

  11/01 Tue 〜 03 Tue. ≪ 見 学 ≫
 今日から3日間,”のんびり”,”ゆっくり”よりも,私たちの旅行はいつも,時間は最大限効率的に,できるだけ沢山 見物する・・・要するに≪貧乏旅行≫タイプ・・・だ。
旅行全般については,後日旅行記で紹介する予定なので,ここではその一部だけ・・・。
  タイ旅行は・・・,
人によっては≪何処に行っても似た様な景色や物件が移り変わるだけ・・・,仏教寺院や仏塔,仏像など・・・どれをみても皆,同じ様なもの・・・≫かも知れない。
しかし,次の様なことに 少しでも関心をもって廻れば,それはそれは・・・絢爛豪華さの中にも それぞれの王朝歴史や,タイ国民性が伺え,非常に興味深い沢山の発見の宝庫である。

  11/04 Fri. ≪ 帰 途 ≫
 飛行機が 9:10発なので,ホテルは早朝6:30頃出発。
しかし,飛行機は約1時間遅れて出発,インドシナ半島を横切りベトナムから海上に出,台湾上空を経て時差の関係で関空到着は 17:00過ぎ(飛行時間 約5時間)。 はるか→新幹線乗り継ぎ 我が家帰着 ; 22:00。



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    タイの歴史的背景 ・王宮 ・遺跡 ・伝統寺院  etc 
 タイ王国の歴史的背景・・・,
クメール王国(7―13世紀頃)
 その昔,タイというよりインドシナ半島は,小部族があちこちに散在している状態。 国家という体はなかったが,しかし仏教の影響も大きいと思う。 次第に大きな集合となり,クメール人(カンボジア主要住民)中心にクメール国家に発展していった。 
クメール王国最盛期は7―13世紀頃で,この地で展開したヒンドゥー教と仏教の美術を≪クメール美術≫と呼ぶ。 前期の7〜9世紀頃はインド美術のクメール化の時期で,高塔(プラサット)建築と丸彫の巨像彫刻が特徴。 9世紀にはアンコール朝成立し,アンコール・トムなどが建設された。

 10〜13世紀は アンコール・ワットを典型とする広壮複雑な大寺院の建築が主で、幾何学的均整のとれた配置が特徴で, 12世紀アンコール朝の統治下,大寺院,アンコール・ワットや大宮殿,アンコール・トムなどを築きクメール民族の最盛期を迎えた。この頃,タイはクメール帝国の支配下にあった頃この地方に住む人々をシャム人と呼ばれていた。

しかし15世紀以降はタイとベトナムに興った王国に侵食され次第に衰微をしていった。

スコータイ王国(13世紀初ー1438)
≪クメール帝国≫の衰退とともに,13世紀の初頭,タイ民族により初めて建国された王朝で,タイ西北部スコータイに都がおかれた。

「シーインタラーティット初代国王」が「スコータイ朝」を建国。 3代国王(ラームカムーヘン王)が現代のタイ文字を生み出し,6代国王(マハータンマラーチャー1世,リタイ王)により,仏教を利用し社会秩序を守らせる為に『三界教』が作られた。
しかし【西洋暦1438年】に、アユタヤ王国に併合された。




世界遺産のアユタヤ≪アユタヤ王朝(1438ー1767)≫
 アユタヤはバンコクの北方 75km,約 1時間の位置にある。 アユタヤ王朝は 1350年にウートン王により開かれた。
 爾後アユタヤ王朝 400年の歴史はビルマ軍の侵略が絶えず,決して平穏なではなかったが,チャオプラヤ川や支流の水利に恵まれ,全盛の16〜17世紀には中国,インドナシア,日本などのアジア諸国やポルトガル,オランダなど西洋諸国との交流の拠点として繁栄を極めた。

 領土もカンボジアまで制圧した。 日本との交流も盛んで山田長政など移住者が集まり,かっては日本人町もあった。 しかし1767年ビルマ軍の侵略により滅亡した。 その時,かっての美しい都は建物も仏像も徹底的に破壊され,かっての美しい都は無惨に荒廃した見るからに痛々しい姿を現在も残している。1991年には世界遺産に登録された,歴史に満ちた町である。

 アユタヤの遺跡観光は,私たちはできなかったが時間があれば,母なる川≪チャオプラヤ川≫を大きな遊覧船で,約5時間かけてバンコクに帰ることができる。 川沿いには華やかに装飾された寺院や,その周りには貧しい民家がひしめき,川の中に橋げたを立て,炊事や生活排水,排便・・・等,亜熱帯の蒸し暑さを回避する工夫が散見されるそうだ。




ワット・アルン(暁の寺院)
 バンコク チャオプラヤ川に面したワット・アルン(暁の寺院)。 アユタヤ時代の王侯の威厳を示す高さ79mの大仏塔は,中国の極彩色の陶片やガラス片がびっしりと貼りめぐらされ,それが太陽の光に輝き見事に美しい。  夕日を背に浮き上がるシルエットも趣がある。
三島由紀夫の小説・豊饒の海 第3巻『暁の寺』のモチーフにもなった。   ↓





現在王朝への変遷
 タクシン王朝(1767 ー 1781)
 アユタヤ王朝に仕えていたタクシンは,1767年王朝が崩壊すると華僑などの支援を受けビルマ軍を破り,バンコク西側地区のトンブリに首都をおきトンブリ王に即位した。
そして周辺地域へ勢力を拡大していったが,その手法は社会が安定してくるにつれ貴族や僧侶など王朝内部での亀裂を増し,その部下である『チャオプラヤチャクリー兄弟(後のラーマ1世)』の反乱により処刑される運命を辿る。

 ラタナコーシン王朝(1781 ー 現在
1781年,新王ラーマ1世は即位するとすぐ,トンブリの対岸に王宮を築き,新しい都建設に着手すると共に,中国を中心とする貿易にも力を注ぎ,この業績がこの後タイ王国の繁栄の基礎となっていった。
新しい王宮は政務と生活の場として,アユタヤ王宮の宮殿を模して造られた。 その後も敷地内には王宮寺院などが次々と建立され,国家平安の基礎となり,仏教繁栄の礎となった。

ラタナコーシン王朝は現在ラーマ9世に至るまで,歴代の王が善政を施し,タイ国民からは全幅の信頼を受けている。 仏教文化の伝統を受け継ぎ,また西欧の進んだ制度を積極的に取り入れ,国家に安定と繁栄をもたらした。中でもラーマ5世(1835〜1910)は 近代的な政治改革の実行,奴隷制度や身分制度の廃止,国軍の近代化,鉄道や道路の基盤整理,郵便・通信設備の新設,・・・等々の近代化を推し進め名君と呼ばれる実績を積み重ねた。



王宮とエメラルド寺院
≪ 王 宮 ≫
斯くして築かれた,タイ王朝歴史で最も新しい現王朝≪ラタナコーシン王朝≫の王宮は,どのバンコク市内観光にも欠かせない最名勝になっている。

 初代王ラーマ1世はこの地に移り,アユタヤ王宮の宮殿を模して生活や政務を行う王宮や寺院建立,以後現在まで歴代の王により増建が続けられ,現在は観光の最名勝の他にも,国家的儀式や祭典,迎賓館として利用されている。
白壁に囲まれた広大な敷地には,それは,それは・・・荘厳華麗・極彩色に輝く王宮,寺院の数々,宮殿群,芸術の粋を尽くし金銀宝石が散りばめられた建物や調度品など,歴代王侯の偉大権力と財力の限りを見られる。  

≪ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)≫
 ラーマ1世が王宮敷地内にある王室の守護寺として建築したもの。 タイで最高の地位と格式を誇る王室専用の仏教寺院である。 本堂に安置されている高さ66cmの翡翠の本尊がエメラルド色に輝いていることからその名がつけられた。
数百メートルに及ぶ回廊には ヒンドウー教の神話をアレンジした 10の顔を持つ悪役と獅子顔の巨人獣がヒーローとなった王朝絵巻が描かれている。



涅槃仏寺(ワット・ポー)
 1788年 ラーマ1世が建立のバンコク最大,最古の寺院。
礼拝堂の中には『リクライニング・ブッタ』と呼ばれる 全身46m,高さ15m,金箔で覆われた巨大な寝釈迦仏がおだやかな姿で安置されている。

仏堂前の菩提樹は仏陀が悟りを開いたといわれるその樹から挿し木して移植したものである。




  ヴィマンメーク宮殿
 1901年ラーマ5世の別荘というより,政庁(国会議事堂)建設とセットにして設けた王の住居区の様だ。
国会議事堂を眼前に見渡せる区域に,総チーク材による3階建て木造建築で,一切釘を使用していない。
 宮殿内は世界各国から集められた食器や調度品や,日本の明治天皇からの贈り物など,『雲の上の宮殿』 と呼ぶに相応しい宮殿だが,王の死後は利用されていなかった。

 しかし,シリキット王妃(現王妃)が再整備し,1983年 ラタナコーシン王朝 200年を機に現在は博物館として一般公開されている。

 ただ写真撮影は外観のみで,宮殿内は撮影禁止なのが残念だが,見学しながら我々は・・・;
凄い贅沢を尽くした当時の王室の暮らし振りと同時に,庶民と人望が厚く,研究熱心で欧米の進んだ文化を積極的に取り入れ・・・,歴代王の中でも タイ国繁栄に最も寄与の大きい≪ラーマ5世≫の人となり,それ
に現王朝のタイ国民の結びつきなど,そんなものを 目近に感じることができる。


国会議事堂と中央は
シリキット王妃の写真



大理石寺院(ワット・ベンチャマボピット)
 1899年,ラーマ5世により建立された王立寺院。
ローマ様式の円柱,綺麗なステンドグラスの入った窓・・・等,建物自体はすごくオシャレな教会の様な感じ。ヨーロッパ文化とゆかりの深い≪ラーマ5世≫好みなのか,タイの寺院としては珍しい建築だそうだ。

『大理石寺院』という名が示す通り屋根以外は殆ど大理石,入口を守る2匹のライオンも大理石で造られている。 全部大理石といってもそんなピカピカではないが,ここで使われている大理石はイタリアから運ばれてきたという。




  バンバイン離宮(夏の離宮)

 チャオブラヤ川の辺り,中の島に造られた豪華な中国風宮殿(パン・パイン宮殿)は バンコクの郊外のアユタヤに向かう途中にある。   アユタヤ王朝時代の(1632年)に夏の離宮として建てられ,歴代の王たちがここで夏を過ごしたという。
 これは当時 華僑から王室に贈られたもので,宮殿建設資材はすべて中国製で賄われている。
 しかし,アユタヤ王朝滅亡に伴い荒廃してしまったが,19世紀 ラーマ4世が再建,後には 5世も増建した。  象の形に刈り込んだ植木の庭や 湖水に浮かぶ金色の寺院などタイ王朝の英華を物語る絢爛さだ。  現在も王室の所有になっているが,普段は使わないので一般に公開しているという。

 タイルで動物や鳥などの模様を描いた床や,細かな装飾が施された王座や衝立など,それはそれは豪華な造りに見学者は圧倒される。



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