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【総括項目 Item in June 】 05/30 Mon 〜 06/10 Fri ≪韓国での仕事 & 生活 ー2−≫ 06/11 Sat,12 Sun ≪友人との再会≫ 06/13 Mon 〜 18 Sat ≪韓国滞在最後の週≫ 06/ 19 Sun 〜 24 Fri ≪帰国後の1週間≫ 06/ 25 Sat,26 Sun ≪週末の神の倉≫ 06/30 Thu ≪ 近藤さんのお見舞い ≫ |
05/ 30 Mon 〜 06/ 10 Fri ≪韓国での仕事 & 生活 ー2−≫ ≪職場と日課≫ 職場には大体10人ぐらいと,通訳兼諸々という韓国人女性1人が同じ部屋にいる。 ≪10人ぐらい≫というのは,赴任が3ヶ月〜半年
固定?メンバーの他に,その時々の状況に応じて,滞在が 数日〜2,3週間ぐらいの人や,新しく交代してくる人や, 帰る人・・・etc,が交錯しているから,人数は確定しないため である。 それで朝は 7:00 にホテルで朝食後 7:40 出発する。 ホテルから職場までは片道40分だが,毎日ホテルの用意する ボックスカー(1台)で,全員揃って 集団出退勤する。 昼食は大体会社の食堂で食るが,時には門のすぐ外にある 民間の船型食堂(写真)にいくこともある。 といっても客はHYSCO関係者だけだが,料理の品数があり, その中から選んで食べられるのと・・・,それよりもっと大きい 理由は気分転換である。 夕方は 19:20 頃ホテルに帰る。 その後はフリー行動だが,でも平均 7,8人ぐらいが揃って 集団食事に出かけるのが通常だ。 温陽の街にはホテルは沢山あり,我社以外にも100人ぐらいの 日本人SVが宿泊している。 だから美味い店とか,気持ちの好い店とか,情報は適宜もたら され,そんな店を試して歩く感じだ。 ≪仕事の内容≫ 仕事については先日も述べたが≪リコイリングライン(RCL)≫ 建設工事現場で見習いをしている。 現場は撮影できないが,鉄板はトイレットペーパーの様な≪コイル≫に巻き取られて製品になる。 その長さは,コイルの大きさや板厚により異るが,工程中は 1,000m 〜 数 1,000m ぐらいある。 しかもこれが≪毎分 100m〜数100m≫の高速で生産されるので,時には不良ヵ所が混入したり, 波うち等が生じても,そのまま巻き取らざるを得ない場合がある。
こうしたコイルを もう一度 巻き戻し, 不良部を修正したり,切除したりする のが≪リコイリングライン≫である。 しかしそんなラインでも 厚さ 3mm,幅 1.8m (6尺) の鉄板を ≪毎分 300m ≫という速度で 走らせるのだから,ライン長さは60m ぐらいになる・・・,そんなラインである。 しかし,こんなラインはここでは最も 小型でシンプルなラインなのだ。 私の職場の別なグループでは≪酸洗・めっきライン(PGL)を建設中だが, これはラインの中に長さ 100mを超える酸洗タンクや,めっきを施すためのオーブンや,ポットや, 沢山の付属設備などが加わるので,ライン長さは(直線距離で)400mになる。 鉄板はライン内を何回もターンしながら,何層にもなって走るので鉄板長さは 2〜3kmという そんな規模である。 更に,来年当たりから,熱延プラント建設の話もあるとか・・・。 これは,製鉄所の中で真っ赤に焼けた鉄が走っていくのを,時々テレビに映されることがあるが, それはこのプラントの極く一部である。 それは鉄の塊(スラブ)からたちまち板に圧延され,毎分1,000m (時速 60km)を超える速さで, コイルに巻き取られる。 そんなラインである。 06/04 Sat こちらでは仕事の関係で土曜日は 14:00 まで出勤している。 06/05 Sun 特に名勝地も見つからないし,足もないし・・・,まだこちらでの過ごし方が よく分からない。 結局ホテルの部屋で時間を過ごし・・・, 1時間あまり市中散歩,コンビニ・・・,テレビ,パソコン,・・・ 06/07 Tue ≪熱延プラントメンバー来韓;夕食会≫ 工事開始は来年らしいが,熱延プラント建設の打合せがあると聞いた。 しかし,私の立場では詳しく聞く積もりはない。 ともかく (私たちの会社の)熱延プラント担当者 約 10人が日本から渡航して来た。 打合せは1日だけだが,大きな話なので高位な人も含め,今日は期せずして20余名の仲間が集い いつもより大勢で賑やかな夕食会が催された。 |
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06/ 11 Sat,12 Sun ≪友人との再会≫ ≪いきさつ≫ それは1989年,私が カラー鉄板ラインの操業指導(当時はライン建設ではない)を担当した時, 客側の担当者だった人≪李≫さんとの関係である。 当時来日した時は一瞬だが我が家に来たこともある。 しかし,その時以来 16年間会う機会は なかったが,時々の手紙や電話で辛うじて縁が切れずにいた。 それが,私が台湾にいた時,突然 電話を貰ってびっくりしたことがあったが,結局会う機会は もてず,またしても生き別れの状態になっていた。 だが,今度は私が韓国に来たので古いメモを頼りに電話をした。 韓国では終身雇用制はないので転職は当たり前,もう連絡がとれないかも・・・と思っていたが, 幸いにもすぐ繋がった。 でも・・・,だが・・・,しかし・・・, 彼は某大手会社(日本では東証一部上場会社に匹敵)の役員とか・・,すごい出世 !! ・・・で, 世界中を跳び回っている。 しかも住まいの順天(スンチョン)はプサンから 車で 1,5時間。 私は≪ソールから高速道路で 2時間≫の田舎にいて,仕事は(土・pm)と(日)しか休めない。 しかも,もう来週 6/18(土)には帰国予定だから !! ・・・。 ただ,私はプサンは過去,何回か行き,観光コースは ほぼ回っているので特にその必要はない。 それで 最終的には次のスケジュールで再会となった。
≪韓国高速鉄道(KTX)でプサンへ≫ ≪韓国高速鉄道≫は;ソール〜プサン間に 去年4月 完成したことで,従来の5時間が今は 3時間弱で結ばれている。 だがここでは日本の”新幹線方式”の対抗馬であるフランス”TGV方式”が採用されているので 『新幹線』という言葉は禁句の様だ。 所で,両方式の違いは・・・私の聞いている所では(但し,信憑性の程は知らないが)・・・ 新幹線は複数の車両にモーターが付いて駆動する方式に対し,TGV方式では先頭車と最後尾が 機関車になっていて(最大 全20両)を牽引する。 だから 加速性や,機関車が重いため高架橋や高架駅ホームの構造,レール建設,高速走行による 地面振動などが不利と聞いている。 しかし,機関車には大きなスーツケースを持った団体旅行団などの荷物車両として利用できるし, 何しろヨーロッパ全土を問題なく走り続けている実績も大きい。 列車の運行管理方式など新幹線とは違うメリットがあるらしい。 高架橋部分が少なく,レール幅が既存線(在来線)と同じで,共用区間がある韓国ではこの方式が 有利だったのだろう。 駅舎や高架橋の色はブルーが基調で,確かに造りは新幹線に比べるとどっしりした感じだ。 駅の内部は,日本との違い売店や土産物店の数が極端に少ない。 ホームへの改札は列車出発の10分か15分前まで開かない。 ホームは広いが売店は全くない。 牙山駅を出発した列車はすぐ 300km/h にスピードを上げ,当たり一面に,つい最近植えられようやく 緑色を呈した田んぼを眺めながら快走する。 乗り心地は新幹線と変わらない。 大田(テジョン)を過ぎ東大邸(トンテグ)まで来る。 KTX専用レールは現在はまだここまでしか繋がっていないので,この先はかなり速度を落として 既存線のレールを走る。 やがて蜜陽(ミリャン)を過ぎると大きな川(洛東江)なのか湖なのか・・・大分陽の傾いた 岸辺を走りながらプサン市街地に突入する。 |
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天安牙山駅 |
先頭車両=電気機関車 |
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一般席の座席は方向転回 できないのがちょっと不人気 |
今の季節,グリーンに色づいた田んぼを走り |
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大きな川なのか湖なのか・・・陽の傾いた(洛東江)辺を走り・・・ |
プサン駅着は 18:50 |
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≪友人との再会≫ 『プサン駅のKTX出口は一つだけだからすぐ分かる』 と聞いていた。 でも 16年ぶりだから互いに歳もとり,顔も変っている筈だが・・・, 見つけられるだろうか ?? 。 ちょっと不安と,顔が合うのがちょっと気恥ずかしいのと・・・両方の 気持ちが入り混じる・・・。 だが・・・,出口は一つと言っても,列車は満席で,大勢の人が 同時に流れ出たから中々見つからない。 しばらく探しても見つからない・・・。 う〜ん本当に来ているの だろうか?。 ちょっと不安になると気恥ずかしさは引っ込む。 その時,すごい格好いい,背広のパリッとした紳士に肩を叩かれた。 よく見ると・・・確かに・・・,でも当時のイメージからは考えられない ぐらい貫禄がある。 当時 確か 30才といっていたから,今は油の乗り切った大手会社の 役員に対し,私の方はヨレヨレのラフスタイルで出かけたものだから, ちょっと釣り合いがとれない。 でも,どうしようもなく,敢えて考えない様にして並んで歩き駐車場まで行ったら, 今度は中年の女性がドアーを開けて車の中に案内してくれた。 すごく美人なので,もしかしたら秘書なのか?と思うと同時に,韓国語で『家内です,よろしく・・・』 と 挨拶が始まった。 その後, 美夫人は運転手となり,3人で海雲台(ヘウンデ)を通り,少し向こうの松亭浜にある 海鮮料理店の客になった。 その後は,過去の話や,当時一緒に仕事をした仲間たちの話や,私たちお互いの歩んできた経過や 現在の状況など,話題は転々としながら韓国語や日本語や英語の入り混ざった会話が永遠に続き, 結局退散した時刻は覚えていない。
私は近くのホテルで1人になり,しばらく酔いを醒ましながら うたた寝してしまい,気がついた時が午前 1:00 だった。 その後シャワーを使い睡眠,・・・ 。 朝 8:00 再度 迎えに来てもらい,朝食はプサンで ”ふぐ料理”の 老舗という店で食べた。 ”ふぐ” の朝定食メニューがあって,入口には大勢の客が 席の空くのを待っている中で, しかし,私の様な 朝は軽く パンと牛乳と少しばかりの野菜,一切れの果物・・・,そんな 食習慣の者が 朝から いきなり ”ふぐちり” など・・・!! 。 しかし結局,最後には 1人前 全部食べてしまっていた。 その後,プサン駅まで送って貰い,私は プサン発10:15 KTXで 牙山(アサン)に引き返した。 |
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ホテルから早朝の松亭浜 この山向こうは海雲台 ↑ | ふぐ定食(朝食メニュー) | |||
プサン駅 切符売り場 | KTX車両 | 車窓風景;大田(テジョン)駅構内 | ||
06/ 13 Mon 〜 18 Sat ≪韓国滞在最後の週≫ 今週は土曜日が帰国日 総計4週間弱の滞在,まだ3週間では慣れた訳ではないが・・・, それでも帰国日が迫って来ると,やっぱり寂しい気持ちになる。 ここに来て毎日ホテルと職場の往復のみ・・・, しかも,この歳にして新しい仕事を始めようと言う・・・, 職場の仲間といっても,全員がついこの間,初めて会っただけで, まだ,そんなに親しい間柄でもない。 勿論,韓国人だってまだそんなにうち解けて話せる人もいない。 テレビを見ても言葉も殆ど分からないし・・・, 食事だって,毎日々々これまでと全く違うものを食べねばならない。 日曜日には行く所もなく時間をもてあます状態で・・・, かと言って,何処か観光する所も見当たらないし・・・, こんな生活でも・・・やっぱり楽しいのかな?・・・。 普通ならもう帰国日が待ち遠しい筈と思うが・・・,それなのに 帰国日が迫ってくると≪どうしてこう寂しい気持ちに駆られる のか?≫考えてみても理屈は成り立たない。 ・・・ |
職場の事務所 |
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滞在ホテル 温陽 ”ニューコレア観光ホテル” |
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相乗り通勤車(ホテル玄関) |
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↑↓ ・・・ 通勤車からの車窓風景 ・・・ ↑↓ |
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温陽の街角 ↓ | ||
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06/18 Sat ≪ 帰国日 当日≫ 温陽(ホテル) 12:30 → ソール → 仁川空港着 14:40 仁川空港 発 17:50 → 広島空港着 19:10 → 我が家着 21:10 |
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仁川空港 | 広島空港上空 | |
06/ 19 Sun 〜 24 Fri ≪帰国後の1週間≫ 06/19 Sun ≪家の中での休暇 ≫ 天気も好いし・・・,パラグライダーは韓国に行っていた間約1ヶ月も空いてしまったし・・・, 本来なら早速≪神の倉≫へとなる所だが・・・。 しかし,間が空いてしまうと逆に,≪今日は暑いし,少しくたびれた気もするし,仕事のことや, 整理しなければならないことも沢山あるし,家の用事もある・・・≫神の倉へ行くのが億劫な 気がするのが不思議だ。 そんな具合で,今日は神の倉には行かず家の中で過ごした。 06/20 Mon 〜 22 Wed ≪会社へ出勤 ≫ 勿論,韓国での≪勤務≫といっても【研修 or 見習い】なので,私は一銭の寄与もしていない。 しかし私の給料を含め,交通費,宿泊費,保険料,研修に係る経費は総ての経費は会社負担だが, 私としては次の趣旨の報告書を作成し提出した。
06/23 Thu ,24 Fri ≪ ・・・ ≫ 今日からはフリーであるが,HP もしばらくアップロードしていないし・・・,家にいて パソコンの前に座っていると,アッという間に時間が経ってしまった。 夕方,ちょっと所用で 稲垣さんの事務所に行った。 用事は二言三言で 直ぐ済むのだが・・・,その後,私こそ暇なのに任せず〜っと長居してしまった。 しかし,考えてみると稲垣さんご夫妻は仕事の最中で,お忙しいにも拘わらず, 私に対して そんな顔色ひとつ見せず ず〜っと付きあってくれた。 パラグライダーで≪石垣島≫に行く予定をキャンセルしたとか,その代わり≪バリ島≫へフライトに 行く話とか,・・・それ以外にもどんな話をしたか覚えていないが,ともかく 2時間ぐらい大事な仕事に 支障を与えてしまった。 06/25 Sat ,26 Sun ≪週末の神の倉 ≫ 06/25 Sat 神の倉はしばらくご無沙汰してしまうと,行くのが何か・・・億劫になる。 『今日は暑いし・・・ !! 』と思うと・・・,結局 真昼を避け午後 15:00頃到着した。 私こそしばらくぶりだが,メンバーの顔ぶれといい,風景といい別段変わったことはなかった。 コンディションは昼頃は,相変わらずパラ中毒のひとり 石田さんは甲田方面にクロカンに走った らしいが,もうサーマルは終わり,何機かが神の倉TOレベル付近で,リッジで粘っていた。 メインポールにオレンジ色のテント状の・・・ 私は今日は1本だけ,できれば≪アベントタイムに合わせて・・・≫と期待しながら神の倉TOに上がった。 一瞬,≪誰もいない?≫と思ったが,
これを I-ぐち夫人は,セブンイレブン付近ではっきり確認し,てっきり≪最近は猛烈に暑いから,誰かが西日を避けるためのテントを張って呉れたもの≫と思いこみ,喜んで上がって来た。 しかしこれは,かのクロカンパイロット氏がトップランした時,周辺に誰もいないかったので,トップランしたことを他の人に知らせる意図があったのではないか ?? 。 私の推察が正しいとは言わないが,Mr.K氏の名誉にかけ,少くともトップラン操作ミスではないと思う!! 。 なぜなら,機体には全く破損もないし,しかも直ぐ 下ろすことを考え,軽くちょっと吊していただけ だから・・・。 操作ミスなどで,そんな吊るし方をするのは至難の技だ ・・・ !?!? 。 今日のフライト
この所,雨の少ない日照り続きで,すごく暑い。 今日もそんな天気を予想し,天気予報は全く見ていなかった。 要するに,神の倉には昨日と同様,午後陽が陰る頃行って1本飛ぼうかと思っていた。 所が予想に反し,朝から曇っていたので慌てて,予定を変え結局 10:00 過ぎに神の倉に到着した。 所が,特別常連の高石さん,向井さん,阿部さん,中村さん,足刈さんが,もう荒谷山TOに 上がっていたのは別に不思議はないとしても・・・, 少し不思議だったのはMLにいたのは 福伝さん,森本さんの2人だけだったこと。 2人は 話あっている風でもなく,いないでもなく,ちょっと離れたベンチに座って茫然としていた。 私が真っ先に声をかけてみると 『今日は午後から雨ぼ予報はだから・・・,だから≪普通の人≫は 来ないでしょう !!?? 』 という返事だった・・・。 そう言えば,福伝さんも 今日は時間があったから来ただけで,あまり飛ぶ気はない様だ・・・。 お天気博士(と私が思っている)河原さん,稲垣さんは 今日に限って,まだ姿が見えない・・・。 でも,森本さんは島根県から,『今日こそは・・・ !! 』と,朝 6:00 に自宅を出発してきたそうだ・・・。 私以外の人が≪普通でない≫とは毛頭思わないが,その後MLに井上さん,田中さんも到着した。 曇り空の下,荒谷山の 5人がテークオフ開始・・・。 トップアウトはしないが沈みもしない・・・。 これを見て,私たちも(雨が降る前に1本・・・)と神の倉TOに上がった。 そして,早速フライト準備が済んだ時,雲行きが少しづつ怪しくなり,風も強くなり,遂にパラパラ 来てしまい・・・フライト中止。 MLに下りてみると,上述メンバーに河原さん,石田さん,徳永さん・・・と言う予想される同類 ? メンバーも加わり,ちょっと賑やかな雑談になったが,雨は一頻り激しくなり一部の人は退散した。 しかし,多くの人は 『この雨はすぐ上がる』 と言う河原さんを信じ,飛べるまで待つという気概で 雑談し続けていたが,一抜け,二抜け・・・,遂に私も待ちくたびれて自宅に向け退散した。 しかしその後,16:30 頃 電話で確かめると,石田さんを含む何人か 最後まで残ったメンバーは, 遂に,めでたく・・・神の倉TOに上がることができたそうだ !! 。 |
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パラパラ雨・・・ !! , フライト準備が整い,テークオフ寸前に降り始めた | ||||||||||||||||||||||||||||||
06/27 Mon 〜 07/01 Fri 06/30 Thu ≪ 近藤さんのお見舞い ≫ 勿論気になっていたが,近藤さんが足首骨折の手術を受けて間もない時期に, 私は韓国での仕事が入ったため,結局お見舞いには行けなかった。 それから1ヶ月あまり。 (足首以外),『身体も口も・・・,すっかり健全ぶりを発揮している』との 噂は聞いているが・・・ともかく一度はと・・・本日午後出かけた。 病院に着いたのは15:00過ぎぐらい。 早速,病室に行ったら同室の人から 『あいにく今リハビリ中・・・,でもお見舞いならリハビリ室に 入っても良いですよ・・・』とのことだった。 しかし≪大勢の他の患者さんも治療を受けている所に のこのこ入って行くのも・・・!! ≫ 病院慣れしない私は一人で,しばらく躊躇いながら・・・落ち着かないでいると, 通りがかりの看護婦さんからも 『どうぞ・・・ !! 』と一笑しながら言われた。 それでも恐る々々リハビリ室の扉を開けると・・・,それは広い部屋だから,他の患者さんと 至近距離で接する心配はない代わり,目当ての人が何処にいるのか・・・ ?, 尋ね様にも近くには誰もいない ・・・。 しばらくキョロキョロしていたら,一際大声で話しをしながらリハビリ中のペアーが見つかった。 いうまでもなく目当ての人だが,私と目が合うと,遠い所からもっと大きな声がかかった。 その後はあれこれ・・・,大して中味のある話ではなかったと思うが・・・,かれこれ1時間ぐらい 話して帰った。 でも,歩くことができず,毎日々々病室で過ごしている人にとって,少しは気分転換になった なら幸いなのだが・・・,しばらく見なかった間に,頬がふっくらし,体調は至って良好そうだった。 何しろ両足首を同時に骨折しているから,松葉杖で歩くこともできず,専ら車いすをフル活用 している様だったが,足首の方も予定通り 回復しつつあるのだろう・・・。 |
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神の倉の皆さんにも宜しく・・・と伝言を依頼された。 |
2005.06分 end → 2005.07 へ続く |
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