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台湾赴任中の帰国 & 移動記録 |
2003/12/05(金) ; ≪備北丘陵公園 ・・ Winter illumination≫ | ||
イルミネーションは 以前,神戸のルミナリエが有名だと思っていたが最近では至る所で催されて いる。 早速,出掛け準備をして備北丘陵公園まで片道2時間のドライブに出掛けた。 17:50目的地到着。公園一杯が色とりどりの電球で飾られると不思議な幻想の世界が現出する。 |
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2003/11/01(土) ; ≪大山 紅葉狩りドライブ≫ | ||
朝≪晴≫9:00出発 → 横田(昼食) → 木次 → 伯太 → 溝口 → 舛水高原 → 東伯 → → 東大山 → 鏡成高原(Coffee break) → 日南 → 西城 → 21:00帰宅 ≪470km≫ | ||
2003-10/19 Sun 〜 21 Tue ≪タイ旅行≫ |
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日本に帰国してしまうと タイまでは非常に遠くなる。 慌しい日程ではあるが,高雄からバンコクには直行便も飛んでいるので この際友人に会いに行った。 但し,本当の駆け足--,いや全力疾走旅行なのに加え,丁度APECの総会が開催中でバンコク市内は所々で通行規制があり,観光は全くできない。 10/19(日) AM 家事,旅行準備 -- PM ** CI 647B 高雄 -バンコク 15:00-17:35 10/20(月) AM ゴルフ, PM 見学,ディナー 10/21(火) AM 移動&見学 -- PM ** CI 648B バンコク -高雄 18:40-22:50 タイは 私は始めて訪れる国。 第一印象は まっ平らで広い。 緑が多い。 地平線が見られる。 おおらかでガツガツしない。 きれい好き。 街がきれい。 料理は結構唐辛子が多い。 特有な隠し味がある。 果物が美味しい。 太った人がいない。女性が美しい。 こんなところかな ・・・ ? |
≪日本帰国≫ 2003-8/02(土) 〜 8/17(日) | ||||
- 業務のため次の日程で一時帰国。
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8/02 Sat ≪帰 国≫ 高雄のアパート発5:20。≪高雄→台北→福岡,博多→広島≫飛行機・新幹線を乗り継ぎ,15:00 我が家到着。 今年は台湾は格別暑くチョッと熱さバテ気味だったが,日本は今日から真夏の暑さになった。 どちらも同じぐらい暑い。 しかし,日本の日射しは台湾に比べあまりヒリヒリしない。 |
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8/03、09、10、13、15 ≪神の倉≫---(【神の倉】関係は下記に一括表示) 8/04(月),05(木)≪健康診断フォロー≫ やはり,外地勤務dでは健康については最も注意しなければならない。 勿論,現地にも立派な病院はあるが 習慣も違うし言葉も不自由なので,いざという時は日本よりももっと心細い思いで 右往左往しなければならない。 そんな訳で帰省した時は(大体1年毎の)健康診断のフォローをする様にしている。 8/04は県病院(眼科),8/05は済生会病院(内科=会社の健康診断で引っかかった項目のフォロー)に行った。 場合によっては色々な検査や,その結果がでるまで何日かかかるというケースも覚悟はしていた。 しかし,何れも【異常なし】で 1日で済んだ。 8/06(水), 07(木), ≪ ・・・??? ≫ 久しぶり帰省するとやりたいことが沢山ある。 あれもこれも気になるが・・・,しかし中々手につかない。 庭の木もぼうぼうに追い茂ってしまい・・・、何とかしたいが,暑いし・・・,一旦手を付けるとチョッと収拾がつかなくなる。 8/08(金) 昨日接近したの台風10号の余波で,フライト不可だろう。 不気味な雲が速いスピードで流れている。 会社(日本の親会社)にも挨拶に行ってみようとしたが、丁度 台風10号の接近でバタバタしている様だったので急遽延期。 久しぶりドライブでも出かけようというと,うちの奥さんは『急に言われても・・・』と言って乗り気でない。 結局,近場でスーパーとか,デオデオとか,ホームセンターとか・・・。 結局チョッと早めだが奥さんの里(鈴張)に、盆の墓参りを済ませ,後はパソコンとテレビの番をするだけ」という極めて非効率的な日程配分になってしまった。 最近,台湾は凄く暑かったし,私には暑さバテ気味だったので骨休めにはなったが,狭い家の中で只,ブラブラして過ごすことに うちの奥さんはず〜っと不機嫌だった。 |
------ 8/03 Sun ≪神の倉 Kannokura≫ 早速 朝8:00に稲垣さんに電話をした。 奥さんが出られ『稲垣(旦那)さんは今日,午前中は神の倉草刈りのため,早々と行った』ということだったが,必然的にSARSや台湾の話題になった。 例によってあのはしゃいだ声につられて しばらく話が続いた。 |
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うちの奥さんは私が帰るなり苦言ばかり多く,あまり話をして いなかったが,この電話を傍で聞いていて また苦言になった。 しかし,それはともかく・・・,午前中は二人で買い物に出かけた。 そして午後,私一人神の倉には 14:30頃到着。 その時は既に,稲垣さんや時安さん・・・数人の≪さすが組≫は 2時間あまりのフライトを楽しんだ後で・・・,ぶっ飛びや,風待ちで空しく過ごしている≪一般組≫とは完全に【対象的】だった。 15:00頃 風向きが良くなり,私も含め10人余りテークオフした。 しかし,全ての機体は TO付近の高度【±50m】範囲に集中,サイチャに比べると,かなりの過密の中で約40分飛んだ。 その後もしばらくこの状態が続いたが,私は上がる車がなく,指をくわえながら眺めていた。 この間,木村さん,小島さん,黒田夫妻,河原さん,石井さん,徳永さん,武さん,井口さん,神谷さん,友井さん,広大生・・・,しばらくぶりなので皆の顔が懐かしかった。 この間,1年足らずだが この神の倉女性の中には以前と一味違う美しさに輝いて見える人もいる。 そして,次に上がった時は完全なぶっ飛び状態,低空からの写真しか撮れなかった。 |
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8/09 Sat PM ≪神の倉≫ |
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台風の余波が消える頃合を狙い私は14:00頃 神の倉到着した。 所が稲垣さん,石田さん,井口さん・・・,といった超級中毒組や広大生など大勢の人は,私よりずっと早くから集合していた。 しかしTOはまだ10m/secぐらいの強風でフライトは不可。 |
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そんな時は立上げ練習や・・神の倉の好い所は小脇さん始めメンバー全員の力作であるあの団らん小屋で楽しい雑談に花が咲くことである。 メンバーは入れ替り,立ち代り切れ目なく話が弾んでいる。 中には 小屋番の様に貼りついている人もいる様だ。 |
そして待った甲斐あり,やっと16:30頃 フライト可能になるや,真っ先は言うまでもなく稲垣号。 続いて 福伝さんと 私,広大生・・・・と,全員がぶっ飛び。 しかし,これ一度では飽き足りない稲垣さんは また・・・。 私も 誘われ,もう一度神の倉に上った。 |
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この時はもう茜色の夕日が沈む頃で無風に近かった。---私は皆のサポートで,やっとテークオフできた。--------- 勿論ぶっ飛びだが ランディング時,意外に伸び,アウトランしてしまった。 その後は,お決りのトイレ掃除。 |
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だが・・・,もう 真っ暗い神の倉テークオフに 今から 私一人で上がり,トイレ掃除するのを 気の毒に思ったか・・・, 心の優しい稲垣さんは,私と一緒に上がって手伝ってくれた。------------ | 最後のフライトは夕日の沈む頃 | |
8/10 Sun ≪神の倉≫ |
↓ 荒谷山TO上空から | |
今日は久々,少し心地好い思いをした。 私が 10:30頃荒谷山TOに着いた時,稲垣さん,工藤さん,福伝さん・・・という超級 中毒者達は 早々とテークオフした。 しかし,皆, 一度もトップアウトなく もがきながらサブランに降りた。 私はしばらく様子をみて 11:05テークオフ。 やっぱり中々好いサーマルに当らず・・・,苦しみながら・・・,本当にやっとトップアウトできた。 これを見ていた高石さん,近藤さん,利弘さん,徳永さん・・・,が相次いでテークオフし,一緒に 約1時間ぐらい荒谷山上空 +500〜800m でのフライトを楽しんだ。 土師ダムはすぐ近くに見える。 遠くの山並みも はっきり見えて・・・中々心地好い。 この頃は 最初に飛んだ 超級 中毒者達も TOまでは戻っていた様だが,その後の コンディションは好くならず,遂に トップアウトする機体は見られなかった。 私も その後 3本飛んだが,いずれもぶっ飛びに終った。 |
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8/13 Wed≪神の倉≫ 今日も先日(8/10)と同じ様なコンディション。 荒谷山は 昼前に上げ始めた。 最初 武さんが上げたのを見るや,稲垣さんのテークオフは素早い。 続いて倉田さん,井口さん,私,河原さん,石井さん,・・・,と続いて全員が +1000m ぐらい上げた。 雲の中に入った人もいるが,とにかく・・・アッという間に雲に近づくのは爽快だ。 しかし,チョッと寒いので,私は 皆より少し低めの高度を選んで しばらくフライトしていたら,ある時点を境に,急にコンディションが下がり,全くなす術のないままランディングしてしまった。 フライト時間 約40分。 サブランに降りたら橋本さんが Pick up に来て呉れた。 彼女と会うのは しばらくぶりだが,少し成熟して落着いた容貌になっていた。 しかしその後,コンディションは二度と好くならず,ただ ぶっ飛びを繰り返すだけだった。 |
↓- 荒谷山テークオフからの眺め -- |
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8/11 Mon ≪親会社訪問≫ 私は台湾で働いているとは云え,出向なので日本の親会社の呉工場に在籍している。 今回は≪SARS≫問題があったため,10ヶ月ぶりの訪問だったが,この間に生産設備縮小や,定年で年配者の多くは既に退職しているし,昔動いていた設備も廃止されたりして・・・大分 寂しくなっている。 今,私が属している台湾の会社とは随分違った情勢になっている。 しかし,沢山の知人もいるので過半日をここで過した。 |
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8/12 Tue≪浜田 ドライブ -- Driving to Hamada ≫ 別に目的がある訳ではない。 でも偶には うちの奥さんとも 何処かに行って昼食でも・・・と思いたち,二人でひとまず 芸北路を走った。 先日の雨で水量の増した大田川はいつもよりずっと豪快だった。 走りながら,車中で≪新鮮な魚を・・ 食べ,少し買って帰り,台湾への土産も・・・≫という目的を考え,結局目的地を 芸北町から 大佐を経て浜田に向けた。 この目的では ”お魚センター”に行って,腹ごしらえし,魚類の買物をして帰る。 ただそれだけである・・・。 道中,奥さんは眠ければ眠り,ステレオを聞きたければ聞き,景色を見たければ見,本を読みたければ読み,何か食べたければ食べ,時には話をしたり,喫茶店に入ったり・・・,私はただひたすら運転するだけ・・・,こうして家から離れた所を走っている間は 雑事を忘れ,気分転換や,色んな発想やひらめきが出る。 帰りのお決まりのルートは 国道9号線を 江津で分れ,桜江町から吉田を通って帰る。 このコースは、特に雨天の時,江の川の中洲が小雨に煙り,テカテカに輝く車道を 時に水しぶきを撒きながら ばく進する。 そして雲というか霧雨というか・・・対岸の鮮緑色に洗われた山や谷間から 湧きあがりながら蒸発していく。 そんな風景が 私達の眼と心を魅了する。 但し,今日は天気晴れで普通の景色だった。 総行程 約 300kmn。 19:00 帰宅。 |
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8/13 Wed ≪神の倉 Kannokura≫ |
8/14 Thu ≪明石海峡大橋→しまなみ海道≫ -- 明石海峡大橋まで 明石海峡大橋も,しまなみ海道も開通はいつだったか?。 大分 久しくなるが私はまだ通ったことがない。 しかし,それにしても・・・, 今日は天気予報でも 朝から 1日中,止む予定のない激しい雨であるが ・・・,しかし,今回は明らかに私達の予定が先約だ !! 。 天気の方が勝手に雨を降らせているのであって, 何も私達の方が合せねばならない道理はない !! 。 こんなことを考えながら 朝からの激しい雨を衝いて, 7:30 my奥さんと二人で自宅を出発。 奥さんは助手席で 例によって眼を覚ましたり,また眠ったり,何かを食べたり,飲んだり,時々気がついた様に何かを話し掛けてきたりしながら・・・,私は山陽自動車道を一路 東進した。 途中何処だったかSAで一度休憩した後も,全く弱まる気配もない雨の中。 今日は 高速道路には ≪制限速度は 50km/h と明瞭に表示されている≫が,他の全ての車と同じ様に90〜100km/h で走り,三木JCTから”神戸淡路鳴門自動車道”に進路を変えた。 天気が好ければもっと 色々な景色が眼に写るだろうが・・・,今日は道路意外は何も見えない。 車はそのまま走り,明石海峡大橋は あっけなく 自動的に通過 ・・・。 この橋を乗用車で通過しながら見えるのは≪海と雲と空が一体化したグレー 一色≫の景色であるが,しかし,やはり,≪海面上 297m≫という橋塔はさすが・・・高い・・・!! 。 橋塔が高いことから 橋の巨大さが感じられる。 通過 直後ひとまず淡路SAで 橋を外から眺めながら 昼食休憩とした。 ちなみに橋の 全長は 約 4,000m。 私の計算では 地球は丸いため, 2本の橋塔間の距離は≪頂部の方が 脚部よりも 約 10cm も長い≫ことになる。 |
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淡路島内の道路 淡路島SAは 13:00出発。 島の道路は海岸線の見える小高い丘や 山に近い所を走る。 季節によっては沢山の花が咲き乱れる ”花の島” とも 美麗な ”花街道”とも聞いている。 私達がドライブに行く一つの主要目的は, そんな風景の中を突っ走る醍醐味を味会うことであるが,今日はその代りに,運転席のワイパーで掻き取られる狭いすき間から,広い 道路と 前を走る車のテールライトと水しぶきが見えるだけである。 ローカルのラジオは今日は”阿波踊りが開催”のため 鳴門 IC出口付近の渋滞を伝えているが今の所 順調に流れている。 奥さんは何をしているか分らない・・・。 眠ってもいない様だが,別に話しをするネタもない。 この当りは自宅からの最遠地点なので 私は帰宅のコースや そろそろ時間を計算しながら 黙々と 運転している。 |
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大鳴門橋 もう何年前になるか ここには瀬戸大橋を渡ってきたことがある。 その時は霧雨のため 橋が半分しか見えなかったが・・・,ここ ”鳴門の うず潮” は私が推奨する絶景のひとつなので ,その後も何回か来ている。 今日も 雨の中だが,視界は 鳴門海峡全体が見渡せる。 今は大潮とあって 橋を渡りながら あちこちに 巻いている ”うず潮”が見える。 天気の好い時は,これが・・・ ≪紺色の海,豪快な真っ白い渦潮,真っ青い空,対岸の真緑の山≫の見事な コントラストをおりなすのだが・・・。 しかし今日は 雲と空と海が一緒になった グレーのスクリーン上に,申し訳程度に白い 幾つかの渦潮を,ガラスに雨滴の付着した窓越しに 眺められた。 大鳴門橋を過ぎ 小鳴門橋当りから 鳴門 IC出口の左車線は渋滞が始まった。 最初,天気が好ければ鳴門で下りて,何処か散策することも考えていたが,今日は その気は起らず,中止して帰途についた。 徳島自動車道→松山自動車道 以前・・,といっても,もう何年になるか?。・・・鳴門から藍住までは鳴門市郊外の大谷焼きの町(大谷)や東ドイツ館の近くを 通っていた。 今は高松自動車道 板野ICを下りると,藍住ICまで簡単に行ける。 徳島自動車道開通までは 延々と一直線に流れる吉野川は 他のどの川よりも美麗だ。 川沿いには脇町や,歌津とか,半田町とか・・・往時の風情を感じながらドライブしていた。 しかし,今回は高速道路では あっけないというか,物足りないというか・・・,勿論 一般道は廃止された訳ではないが・・・。 しかし高速道路ができれば,人は便利なものしか利用しなくなるという心の矛盾を感じながら・・・アッという間に通り過ぎた。 池田を過ぎる頃から 山が険しくなるが,これも トンネルで訳なく通り抜ける。 天気が好ければ 四国山脈のあの険しい山や,崖や,崖っぷちをよじ登るのつづら折りの道路などの景色が印象的なのだろうが・・・。 雨は 依然として全く小降りになる気配もない。 ラジオでは 今日の阿波踊りは やっぱり中止になった様だ。 道は山中で そのまま松山自動車道に移り,伊予三島 - 伊予西條と視界に市街地が見下ろせる所を通過する。 しかし,今日は全て雨に 掻き消されている。 休憩も考えたが,結局 ノンストップで 伊予小松JCT から今治まで突っ走った。 今治に近づくにつれ ようやく雨が止んだ。 |
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しまなみ海道 先ず来島海峡から大島には,三連吊橋 《来島海峡大橋 》が見事な 雄姿を見せる。 《三連橋の全長は 4000m 超 》天気が好ければ 下車して,眺望レストランでも探す所だが,今日は その気も全く起らず,ただ,車を突っ走らせた。 |
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橋の上の 両側に来島海峡が眺望出きる・・・。 天気の好い時は 今の時間は夕陽の空や,ギラギラ輝く波,海に点在する無数の島々。 その間を行き交う沢山の船やその航跡・・・等 。 ------ それを眺望する積りだった。 |
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≪多々羅大橋≫ 広島-愛媛の県境。大三島と生口島間に架る美しい斜張橋。 しまなみ風景に 見事に調和。 ≪瀬戸田PA≫は”多々羅大橋” の見えるPA。 気がついて見ると 13:00 過ぎ淡路SA を出発後 トイレ休憩もなく 走りっぱなしだった。 しばらく休憩,夕食,買物し19:00前出発。 帰路 。 自宅到着 21:00 走行距離 680km |
下は生口橋 |
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≪日本帰国≫2002−12/06(金) 〜 12/12(木) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 業務のため次の日程で一時帰国。
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日本帰国 2002−10/24(木) 〜11/06(水) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日本帰国 2002−8/30(金) 〜9/08(日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
****** 2002 ** 8/30(金)〜9/08(日)**
【 総 括 】 ****** 今週は業務出張で帰国。 しかし神の倉にも訪問したが 台風15号の影響でフライトで 出来ずチョット残念。 その他は全て予定とおり 用事を済ませた。 業務は 台湾から直接成田入りした我社社員(4人)と 市川(工場)で合流し予定とおり済ませた。 滞在中ディズニーシー及び週末は箱根観光に案内し 9/08(日) 成田から帰台した。 帰国中の日程
ディズニーシー(9/05-木) 今は,市川工場で 台湾から直接来日した社員4人と一緒に仕事している。 今日はディズニーシーに行きたいと言うので案内した。 ディズニーシーはディズニーランドと同系列のリゾートパークで 丁度 1年前(9月4日)にオープンした。 敷地はディズニーランドやディズニーホテル等と接し,これら相互間はディズニーリゾート線(鉄道)で結ばれている。 業務終了後すぐ工場を出たが現地到着着は18:30になった。 閉園が22:00だから,見学は 自動的に 3時間半が限度である。 園内はディズニーランドと同様,広〜いリゾートパークで沢山のショーやアトラクションがある。 しかし違いは全て海をテーマにしたアトラクションになっていることだ。 早速レストランで食事し,ショーを見学し,ショッピングを楽しみ,種々のアトラクションを楽しみ・・・,と廻るのが順当なのだが・・・!?。 何しろ人が多くて・・・・,花火のショーも一生懸命背伸びして やっと人と人のスキ間から見える程度。 レストランも・・・,アトラクションも・・・各テーマ毎 約1時間待ちだから・・・,見学時間 ;3時間半 というのは・・・,結果的には 景色を眺め 日本人のアベックを見に行った様なものだった。 それでも彼らには @ジェットコスターでのスリル,A花火のショーと, B日本の女性の奇麗だったことが最も印象的だったそうだ。 何れの項目も 周囲が十分暗かったのは 最も効果的だった。 詳しくは是非こちらをクリックして下さい 箱根観光(9/07-土) ここは,関東と関西を繋ぐ交通の要衝であるが,昔は随分険しい山道で”天下の剣”いわれた 難所である。 江戸時代には芦ノ湖の南端の元箱根には箱根関所設けられていた。 そして現在はこの少し先が箱根駅伝の折返し点となっている。 地形的には駒ケ岳を中心とする箱根火山と,それを取り巻く外輪山から成り, 芦ノ湖はカルデラ湖である。 箱根の水は東側の外輪山の切れ目から早川となって相模湾に注いでいる。 箱根温泉街は この早川に沿って下流から湯本温泉,宮ノ下温泉,強羅温泉等・・険しい山中の緑豊かな環境に立地している。 大湧谷は箱根火山の一つ早雲山の斜面から水蒸気が噴出している景色が有名。 谷の近くは湯気の熱気と硫黄の臭いがプノプンして歩きながら温泉情緒を味わえる。 温泉熱で茹でた”黒卵”は1個食べれば7年長生きできるそうである。 駒ケ岳は箱根園から101人乗りロープウエーで登ることが出来る。 眼下に見下ろす芦ノ湖と 外輪山の向こうに見える富士山は大きからず小さからず・・・バランスが絶妙だ。 西側外輪山を走る芦ノ湖スカイラインからは 芦ノ湖と富士山が 道の左右に交互に見られる。 南端は伊豆スカイライン・十国峠に連なり,箱根峠(東海道),湯河原道や熱海峠等が複雑に交叉している。 但し,今日は曇り時々雨。 残念ながら 富士山の姿は一度も見ることが出来なかった。 折角台湾から来たのに・・・, また 折角私のHPを見て戴く方にも絶景を紹介出来ないのが残念だ。 でも・・・,私はドライブ等で何回もきているが,夏この時期に箱根から富士山を見たことは本の僅かしかない。 むしろ,見えなくて順当と考えるべきだろう。 今日は7:30市川(ホテル出発) コースは伊豆箱根鉄道の定期観光バスで 小田原9:30→大湧谷→箱根園≪駒ケ岳山頂(往復)・水族館・昼食≫→芦ノ湖遊覧船→箱根関所跡→十国峠≪山頂往復≫→熱海15:30 熱海では近くのホテル温泉に入浴後20:00頃 市川(ホテル)へ帰着。 詳しくは是非こちらをクリックして下さい
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日本帰国 2002−4/13(土) 〜/22(月) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日本帰国 2002−2/06(水) 〜/24(日) | |||||||||||||||||||
今回帰国は身体の検査や治療で病院通いが多かった上に,合せて急に虫歯ができたり,突然親戚で不幸が発生したり・・・,過半が憂鬱な日程になった。 しかし,病院での処置については全て完了し心配ないのだが,私にとってはごく瞬間的な日本滞在中,突発事項も合わせ,これだけ集中的に対応ができたのは奇跡に近いタイミングだった。
2002/02/14 ; 芸北ドライブ これといって宛てがある訳ではない。県病院でガーゼ替え処置後,午後になってブラッと芸北まで。 今回の帰省は毎日々々病院通いだから・・・。 チョッとスキー場を見て・・・(ただ外から車を止めて見るだけ),・・・それから少し奥道へ入って, 雪道を運転して・・・帰るだけ!。 ただ,それだけ! 他人から見ると,馬鹿みたいだが・・・移動している間が,日常の雑事の一切を忘れ/運転の適度な緊張を保ちながら/ボケーッとできる===これが私とmy奥さんの精神休息法なのだから・・・。 購入PCの調整(2/8〜23) 購入した目的の一つはウイルス対策として,現在使っているPCの中で,大切なデータや写真等を バックアップしようと考えた。 しかし,試みているうち,両方のPCが同時に感染する恐れはないか???・・・等, 分らない頭なりに 次から次と,色々な課題や疑問が浮かぶ。 その度に試行錯誤し何日も四苦八苦の末・・・,結局は何も前進のないまま,give up・・!。 私の頭では残念だが,どうしようもない! 稲垣さん事務所訪問(2/19金) 携帯電話に導かれながら稲垣ビルに辿りついた。彼は都会の一等地に所在するビルのオーナー。 事務所はビルの2階を使用し,奥さんと2人で事業を営んでいる。 目的はHPの作り方を教わることだ。 だが全く経験のない私にとっては殆ど理解できない。 稲垣さんもそれを察している。でも一応解った顔をしないと話しが進まない・・・。 かくして何時間かでひととおりの説明を受けた。・・・思いやられるのはこの後だろう!。 この間稲垣奥さんは ずっとPCをバタバタ・・・。背面からの様子では「思考しながら,休まず,延々と・・・」・・ということは多分HPの原稿を書いておられたのだろう?。また稲親父さんと私の会話を妨げる電話も殆どなかった。 オフィスは万事平穏ということなのか!!。 毎日事務所で憂鬱な電話に追い回されている者にとっては・・・・・感じだった。 神の倉(2/16-土,2/23-土) 2ヶ月ぶり訪れた。 様子はあまり変っていない・・・。 しかし自分の車が使え,日本語で通せるのは好い。 台湾でもワイワイ言ってはいるが,日本に比べれば行動半径も狭い,英語ではやはり孤独だ!。 神の倉メンバー本当に楽しそうだった!!。 どの顔が一番楽しそうか?? 写真で確認して下さい。 しかし・・・私の答は言わない---!。 |
日本帰国 2001−12/11(火) 〜/17(月) | ||||||||||||||||||||||||||
今回はJK発表大会の関係業務で帰国。大阪での任務を済ませた自宅へ帰省。 10月に受験した試験の合格証が届いた。 12/16(日)神の倉で2本飛んだ。沢山の人に会えて楽しかった。翌日早朝,再び台湾に回来。 総じて目まぐるしい 1週間だった。
12/11(火) 〜13(木)【 自主管理活動発表会 】 QCサークル員9人(何れも台湾人)は昨日10日に大阪に来ている。 私は1日遅れて今日大阪入りした。 12/11高雄→台北→関空から大阪入り。 12/12午前中大阪工場見学,午後発表練習。 発表者は中国語で喋り,通訳者(実は係りの者=日本語の台本を読むだけ)と交互に読むタイミング合せをした。 12/13(木) 愈々本番 参加は我社(日本)各工場からの選抜=6サークルと,子会社(我が台湾及びタイ)から各1サークルで 合計8サークル。 観客は社長始め,社員約200名。 我が台湾チーム, 格別な指導をした訳ではないが,本番では実に堂々と発表し,他のどのチームよりも高い評価を得た。 今日に限ったことではない・・・ 彼らは隠し立ても Shy 感も少ない。 一般的に表現力は日本人よりも大分上だ。 12/14(金) 【 ユニバーサルスタジオ, ルミナリエ 】 オォーッ!今日に限りこの冬一番の冷え込み・・・!。 この9人を率いて総勢10人組、・・・最高気温5℃とか、風も強い・・・。 案内役の私も「USJ場内」は初めてだし・・・、何処からどう廻ったらよいのか・・・。 アトラクションは多い,・・でも人気の高い所は既に長蛇の列。 待ち時間50分とか,1時間以上とか・・・。 それに彼らはお土産も買い,神戸のルミナルエも是非見学したい・・・とあっては,とても満足の行く見学はできない。欲張らず適当に廻る !!ことを決心・・・ 3D(立体)映像 ; 凄い!,迫力音響と共に爆弾が炸裂し,破片を身に浴びながら逃げ惑う経験。/ 銃口が向けられ思わず身がすくむ瞬間,銃弾はもう我が身を貫通している経験。/ 戦闘で崩壊したビルの中・・,突然すざましい銃声に包囲され,次第に狭まる包囲網の中を逃げ迷う経験。/ 思わず怪獣の手が伸びてきて掴まれたり,口の中に呑み込まれる経験。/ 時空を超えて宇宙船で冒険飛行する経験。 / 断崖を真っ逆さまに突き落される経験。/ 猛スピードの宇宙船でコンクリート壁にぶつかり突き抜ける経験。・・・座っている椅子にも凄い振動や傾きや上下動が加わる。 ・・・映像とはいえ迫力満点の経験ができる。 でも次に行く人は事前に作戦を立てて廻る様お奨めする。 一行は予定通りお土産も買い,16:30出門。 ルミナリエ; JR神戸元町駅に17:20着。ここから会場まで徒歩5分。 しかし,まずは防寒対策に近くの南京街でラーメンや肉まんを立食いし,それからルミナリエへ。 ・・ 通りはもう身動きがとれない,人群れのまっただ中だ。 18:00点灯。 何百万個か知らないがあれだけのストリートに,あれだけの電球で,あれだけのモニュメントに飾りつけ,あれだけ莫大な人が集まる・・・何と!?? 阪神大震災からの復興を期してのアイデアというが,さすが立派な名所になった!?。
この後彼らを大阪(ホテル)に届けて、私は広島へ。 23:00我が家に帰着---- 2002-12/15(土) 【 買物, ドライブ, 合格証 】 今日はmy奥さんが楽しみにしていたドライブの予定だった。 しかし,その前に車のオイル交換をし,台湾へのお土産や冬服等の買物を済ませたら14:00になった。 でも少し雪景色でも見ようと54号線を走ったが赤名で日が暮れた。 一応,道路脇の雪や白一色の広い田んぼを見たので引き返した。 今回はどうしたことか うちの奥さん,買物に熱中して,ドライブ気分が失せた様だ。 ・・・となると,何か私の方が物足りない感じになった。
「一般旅行業務取扱主任者国家試験」合格証が届いた。 実は以前,旅行関係の仕事への興味から始めた。 しかし合格率は毎年10%前後。 私の様な頭の悪い者が仕事の合間にではとても・・・」と諦めていたが,今年は意地をはって受験した。 今更,この資格が私に役立つ予定はないが,久々に達成感を味わったことと・・・,勉強したお陰で,頭の中は既に世界中を隈なく旅行した。 これからは順次その実地検証をしていく人生目標ができ,人生の楽しみが倍増したことはやはり収穫なのだろうと・・・。 12/16(日) 【 神の倉で見たもの!? 】稲垣さんと石田さん今日も早々から神の倉にとりこ」 相変わらずのパラ中毒ぶりだ。 私も早く行きたいが・・・明日早々にはもう台湾へ・・・。 荷物や,差出年賀状やら・・・。 ハーネスを車に積み込み,昼過ぎに近藤婦人を誘って神の倉へ・・・。 早速山本さんにグライダーを借りて2本飛んだが,沢山の人に会えて楽しかった。 山本夫人は相変わらず皆さんの面倒見がよい。 あーっ!? 、懐かしい顔・・・!井口夫人は以前から美人だったが更にあか抜けした。 武嬢はパラ焼け?の”黒光りスマイル”が魅力的だ。 稲垣奥さんは全身”幸せ一杯スマイル”・・・。 しかし,あれほどサイチャに来たがっていた人が皆何やらかにやら・・言って,腰砕けの様な言いまわしに変ってきたのが残念だ。 |
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12/17(月)帰台 (&台北→高雄 車窓風景) 福岡から高雄へは直通便ない。 台北でトランジットは今回は,台北→高雄間を列車で帰った。 この目的には @沿線風景を見たいのと, A少し本が読みたいこともあった。 飛行機(国内線)に乗れば時間は早いが,家に着いて本を読むのというは至難の技だ。・・・でも列車だと5時間ゆっくり居眠りしながら本が読める。・・・・・それに運賃も安い。 話は@台湾の風景について, 台湾西部は結構平野が開け,畑あり,田んぼあり日本の風景と変らない。 しかし違うのは, 所々に大きな果樹園があること。/ 民家も含め建物は木造も瓦葺きも稀少だ。/全てコンクリートか,鉄板か,スレートか,レンガでできている。 それと全建物の色は「神社やお寺の並み外れに鮮やかな朱紅色を除き」非常に無彩色だ。/しかも,建築後ドス黒く汚れたり,錆びたり,色褪せしてもペンキを塗り替えるという習慣も少ない様だ。 窓枠や屋根など非常に個性的なヨーロッパスタイル,/奇抜な配色を自然景観との調和が素晴らしい。 シンガポールスタイル,/芝生のまん中に気ままな家を建てペンキ塗りや改造を楽しむアメリカスタイル,/同色同形の精密なマッチ箱を,ガムシャラ高密度に充填する日本スタイル・・・。 これに対し台湾の建物は景観よりも外観の美しさより紅色とキンピカの飾りつけを楽しむのスタイル・?。 |
日本帰国 2001−10/09(火) 〜/22(月) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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