【総括項目 Item in Oct. 】
10/02 Tue ≪生産部送別会 Ferewell party
10/04 Sat ≪台東 知本自然公園≫
10/06 Mon 〜09 Fri≪ 中国語スクールへの原稿 description for Chinese class≫
10/11 Sat,12 Sun≪サイチャ Farewell flight, Farewell dinner   
10/15 Wed≪退職≫
10/16 Thu,17 Fri ≪基隆(チィーロン),九分(チョォフン) 観光 ・・・≫
10/18 Sat ≪渓頭(シィトウ)森林遊楽区 散策 ・・・≫
10/19 Sun 〜 21 Tue ≪タイ旅行 Thailand trip≫
10/22 Wed ≪会社日本人グループの送別会 Japanese group farewell party≫
10/23 Thu ≪会社登山部送別会 Mountain club farewell party≫
10/24 Fri ≪総務担当者と 昼食会 ≫    
10/25 Sat≪ゴルフ Golf ≫
10/26 Sun ≪ 九族文化村 ≫
10/27 Mon≪荷物,アパートの最終整理 ≫   10/28 Tue ≪荷物発送,会社最終挨拶 ≫
10/29 Wed ≪ 遂に 帰国の日 ≫         10/30 Thu,31 Fri≪帰国後の初日 ≫ 



9/29 MON 〜 10/03 FRI
10/02 Thu ≪ 送別会 Farewell party
正確には既に 後任の人は来ているので歓送迎会だが, 忙しい日程の中今日は 私の関係した生産部處長以上の人が開いてくれた。

私の心は日本へ帰る安堵感 20%と,仕事もパラも・・・,台湾の人々とも断絶される寂寥感 80%。
今はやっぱり,寂しさが勝る・・・!!!---- ≪ 四維路 -大八 ≫

10/04 SAT, 05 SUN
10/04 Sat ≪ 台東 知本温泉,金針山 ≫
日本にいれば パラは毎週の様に行けるのに・・・,台湾で 車も運転できない身では・・・,特に夏場には 稲垣さんのHPを見ながら 何度悔しい思いをしたか分らない。
しかし今,あと僅かで台湾を離れなければならないとなると・・・,やっぱり台湾生活は 楽しかったのかな・・・。 今頃になって 実感が湧き,無性に寂しくなる。

台湾の人達はそんな私を察して温かい心遣いをして呉れる。
私が旅行好きなことを知っているので,毎週誰かが何処かに連れて行ってくれる。
ただ残念なのは,今となっては全くの駆け足旅行しかできないのは仕方ない。

今日は会社の CT陳さんに 台湾の有名な温泉の一つ台東市郊外にある≪知本温泉≫(ツーベンウンチェン)に連れて行って貰った。

高雄を出る時は快晴だったが 方角を台東に向け 山を越えると,これまでとは嘘の様に 掻き曇り小雨混じりのすごい強風に変った。 お陰で太平洋の見事な白波と 道路岸に押し寄せる波 しぶきを 目の当りに見ながらドライブが楽しめた。
知本温泉郷は台東の手前,その道路から数 km 入った山の麓にある。
川土手の適当な所を見つけて持参してきた弁当で昼食をとった。

知本国家森林遊楽区(要するに遊歩道の整った広大な森林自然公園)は 温泉街のすぐ背後にあり,湯治客には絶好の遊歩コースになっている。
ここは 川の流れを見,せせらぎを聞きながら,遠く山々を背景にした広大な自然林の中の遊歩を楽しむ。
先ほどの強風は収まっていたが,小雨が降ったり止んだり。 山のあちこちから 霧が蒸気となって湧き上がる光景と,生い茂る木々の冴えた緑が余計に美しかった。

知本温泉街は知本国家森林遊楽区の一角にあり,大ホテル群が林立している。
週末には大勢の泊り客で賑わう。
しかし私は一泊でもするのならともかく,温泉といっても日帰りコースで,慌しく温泉に浸かることには興味ない。
それより,お土産店の小姐の話や,温泉街の佇まいや・・・,今日は温泉街の風情を感じながら少しでも長く 広大な自然公園を遊歩する。 これが私達の目的だ。

金針山は 5〜600 mぐらいの高台で 季節によってはここに咲き乱れる花と,ここから見下ろす海岸線の
美しさが絶景と聞いていた。 しかし,登るに連れ雲の中に突入し・・・,霧というか小雨混じりのすごい風になって,結局 絶景を眺めることはできなかった。

↑ 台東近くで列車と並走 ↑ 強風の太平洋 ↑ 知本温泉卿
↑ ↓  知本国家森林遊楽区  ↑ ↓
↑ ↓  金 針 山  ↑ ↓

  10/06 MON 〜 10/09 FRI
≪ 中国語スクールへの原稿 description for Chinese class≫
中国語スクールにも2年半通った。
成果は・・・?,やはり語学は生徒のやる気’と聡明さが第一条件だから スクールに責任を押しつけるのは筋違いだが・・・,大体そんな程度だ。 まだまだ街では中々通じない。
しかし帰国を前にして 依頼されていた原稿を作成した。
中国語スクール( TLI )からへの依頼原稿(click here)


10/10 FRI,11 SAT, 12 SUN
10/10 Fri ≪カラオケ≫
今日≪日≫は 「」が 二つ重なる 「双十節」といって台湾では 祝日である。

 しかし,帰国までは忙しくて 今日はサイチャには行けない。
午前中は片付けをしたが,午後は例によって カラオケ好きのJack 王さんに呼び出された。
そして,今日は陳慶国さん夫妻も加わって 結局 12:30頃から延々18:00頃まで食べたり,飲んだり,歌ったりしながら過した。
パラの様なアウトドアとは少し勝手が違うが気分は悪くはない。

 週1回ぐらいこんな時間を過ごし,日常の憂さを発散するのも健康的といえるのかも 知れない。

 結構 常連客が通ってきて,店内は常時 10〜20人ぐらいの人が入れ替りたち替り,同じ様に食べたり,歌ったり,話したりしている。

この店に集まる人は(勿論殆ど台湾人だが)90%までは日本語の歌を愛唱する。 それがまた・・・,歌う時は日本人と全く変らない発音 なのは チョッと驚きだ。


10/11 Sat,12 Sun≪サイチャ ・・・Farewell flight, Farewell dinner・・・
今回は イギリス人Les達さんが 送別夕食会を開いてくれるという。
私にとっても 今回が サイチャでのfarewell flight になるのでピントンで一泊し,2日連続フライトした。
コンディションは2日とも まずまずで,高度700mまで上がった。
10/11夜はLes」さん夫妻及びドイツ人の?さん達とFarewell dinner partyをもった。
                                (ピントン ”田園自助美食餐廰”にて)
今日はチョット サイチャの事情を書かねばならないことがあるが長くなるので,帰国後 落着いたとき書くことにする。
今日の仲間達 サイチャ村長さん&スタッフ 16:30頃から凄い豪雨 LD


10/13 MON 〜 10/31 FRI

10/15 Wed ≪会社を退職 ・・・≫
私は 日本の親会社で定年後 再雇用されていたが,その期間が満了したため 今日付けで退職。
台湾(子会社)での私の身分は 親会社からの出向 派遣者だったため,親会社退職に伴い自動的に除籍される形になった。
この先,新しい仕事を 探すかどうかは,ともかく日本に帰った後考える。 帰国は10/29(水)。


10/16 Thu,17 Fri ≪基隆(チィーロン),九分(チョォフン) 観光 ・・・≫
退職と共に 今日からは毎日 戦場の様なスケジュールになる。
手始めはある台北に住む人の案内で,10/16 台北に一泊し 現在日本でも有名になっている九分基隆を 観光した。
九 分
(1989年ベネチア国際映画祭グランプリに輝いた台湾映画 ”悲情城市”の舞台)で一躍 世界に有名になった。
基隆港を遠望する小高い丘 というより崖の様な斜面に 定着した集落で,九分という地名は,以前は 9世帯だけの集落という由来だそうだ。

崖斜面に辛うじて設けられた狭い通り(路地)を挟み,民家や 商店街や,レストラン,古い昔の映画館などが これまた崖に這いつくばる様な姿で,ぎっしりと 密集して立ち並び,その隙間から 時々見え隠れする基隆港や,その昔 金鉱だったという廃鉱などが ひっそりと”悲情城市” というに相応しい雰囲気を 今も佇ませている。

そして今は 毎週 土,日の休日にはこの狭い通りに,日本人を含む 身動きのとれない程 大勢の観光客が押し寄せてくるそうだ。

基 隆
台湾最大の国際港,海の玄関口である基隆は険しい山が海に突き落ちる リアス式地形と,僅かばかりの平野を利用して,開かれた港湾だが,山はあまり高くないので,(山の)上には港を見下ろす丘といった感じで,無数の高層マンション群が散在している。
これらが一体化して独特な景観を形成しているが,やっぱりリアス式の海岸線の美しさが印象的だった。
それに・・・,基隆港は国際航路の貨物船や旅客船だけでなく,近くにある大きな魚市場で今水揚げしたばかりの新鮮魚を買って 隣のレストランに持込めば,即座に調理して昼食のテーブルに乗せてくれた。

少し離れた別の場所には 約20年前まで 銅を生産していた廃鉱山や廃工場が 生々しく姿を残している。 
そんな廃墟や廃屋を見ていると,何というか,時代の流れの無情さに胸が詰る思いがする。

上 ; 九 分 - - - - - 下 ; 基 隆


10/18 Sat ≪渓頭(シィトウ)森林遊楽区 散策 ・・・≫
渓頭森林公園は南投県 中央山脈の中の杉林公園。
連日の出かけだが,今日は会社の T.K趙 さんが車で連れて行ってくれた。
台湾の山は全てが起伏に富む急峻な地形であることは これまで何度も述べているが,ここもその例に漏れない。 広大な杉林の中に遊歩道がよく整備され 自然公園となっている。

台湾には こんな山岳自然公園が沢山あり大勢の人々がウォーキングを楽しんでいる。
ここはその中でも 規模が大きく台湾内でも有名だが,先年の921地震後 ≪落石危険≫のため長い間閉鎖されていた。
公園は麓部の標高1100mから 杉の巨木に覆い尽くされた急斜面を 杉林から発する酸素と杉の匂いを嗅ぎながら 標高差 700m登れば 山頂は眺望台になっている。

そこからは,美麗な 阿里山山系や,台湾最高峰の玉山を 眼前に 臨める筈だ・・・。
しかし,台湾の高い山はいつも雲が掛かっていて, 喘ぎながら登って来る登山者を呑み込み,視界を奪ってしまう。


10/19 Sun 〜 21 Tue ≪タイ旅行 Thailand trip≫
日本に帰国してしまうと タイまでは非常に遠くなる。
慌しい日程ではあるが,高雄からバンコクには直行便も飛んでいるので この際友人に会いに行った。
但し,本当の駆け足--,いや全力疾走旅行なのに加え,丁度APECの総会が開催中でバンコク市内は所々で通行規制があり,観光は全くできない。

  10/19(日) AM 家事,旅行準備 -- PM ** CI 647B 高雄 -バンコク 15:00-17:35
  10/20(月) AM ゴルフ, PM 見学,ディナー
  10/21(火) AM 移動&見学 -- PM ** CI 648B バンコク -高雄 18:40-22:50

タイは 私は始めて訪れる国。 第一印象は
  まっ平らで広い。 緑が多い。 地平線が見られる。
  おおらかでガツガツしない。 きれい好き。 街がきれい。
  料理は結構唐辛子が多い。 特有な隠し味がある。 果物が美味しい。
  太った人がいない。女性が美しい。
 こんなところかな ・・・ ?



10/22 Wed ≪会社日本人グループの送別会 ≫
午前中は荷物の片付けやHPの整理などをした。 夕方は会社の日本人グル−プ送別会。
我社は会長,社長他 主要メンバーは日本の親会社から派遣されているので,要するに Top幹部の送別会という事になる。
日本からの派遣社員及び,我社が独自に雇用契約を結んでいる日本人 及び秘書女性(台湾籍)合わせて12人出席。
- - - - - - - - - - - - - (五福三路 - - 寒軒延園中華料理)


10/23 Thu ≪会社登山部送別会 Mountain club farewell party≫
登山部の人との行動は 2回だけだった。 しかし私以外の日本人は 若い人も全く行こうとしないので印象が強かったらしい。
私にして見れば 若い人達と一緒に 台湾の あの険しい山に登り,一般の人にはできない経験ができたことは最高の収穫だった。
しかし若くて壮健そのものの彼らにとって 私は 足手まとい以外の何者でもなかった筈だが・・・,今日またこうして部員の大部分が出席して送別会を開いてくれた。
好きな人は踊ったり歌ったり 記念品として登山ステッキを貰った 送別会参加者


10/24 Fri ≪総務担当者と 昼食会 ≫
今日は,たまたま他の人からの誘いがなかったので,久しぶり 一日フルに家事や荷物の整理等を考えていたが,前日 Shelly 黄さんから Tel が掛かって昼食会に誘われた。
私自身は会社にとって,或いは会社の皆に対して大して何もした訳ではないがこうして 連日誰かが誘ってくれる。 やっぱり そろそろ身を引くタイミングだったのだろう。
もう少し引き際を延ばしていたら,私は多分・・・,飽きられてしまっていただろう。


10/25 Sat ≪台湾で最後のゴルフ Golf ≫
私のスコアはとても公表できる様なものではないが,最近 少し感触を得た様な感じなので,できればもう一度したい・・・と思っていたら,タイ旅行の前日誘いをうけた。
これにより,別な人からのドライブの誘いを断ることになるがゴルフを選んだ。
何しろ帰国まで日数が限られているので 両立できないのが残念 !!

今日は 朝もやも まだあがり切らない早朝のフィールドに打ち上げる飛球が何とも清々しい。
グリーンに乗ると,ボールは芝生の露を 掻き分けて,軌跡を描きながらカップに吸い込まれる。
やがて薄日が差し始めたがそれ程暑くない。木陰に入ると すぅ〜っと涼しい。

今日のスコアー私としてはかなり好かった。 しかし,やっぱり・・・,公表できない


10/26 Sun ≪ 九族文化村 ≫
九族文化村は日月潭のすぐ近くにある。
今日はYC黄さん一家(黄さん,奥さん,子供さん(1歳))に誘われ,9:00頃高雄を出発した。
台湾は16世紀オランダや列国の進駐以前,平地に住んでいた原住民族 aborigines達は何れも侵略されたり,同化したりした。
しかし一部の険しい山岳地帯に住んでいた民族がそれを免れ、現在も 9民族がそれぞれの地域に留まり祖先の伝統と文化の継承に努めている。
しかしそうはいっても現在は一般の人々と共存し,近代文明を共有ししながら,原住民族の血筋を保ち,先祖の文化を伝えていくのは容易ではない。

ここは阿美族始め,現住する 9民族がそれぞれ会場を設け,彼ら特有の行事,収穫祭,結婚儀式,民芸品,住居,衣服,生活用品・・・日常生活などを展示したり,公演などニよって紹介している。

その他にも遊戯施設が一体となり広大なテーマパークになっていて連日大勢の行楽客を集めている。
公園内を一周するミニ列車や,目的地までいくにはミニバス,ロープウェー,それに太古の自然探検やジェットコスターの様な乗り物や,UFOタワー,・・・等々スリルや沢山アトラクションが楽しめる。

UFOタワーは日本にもあるが高さ 85mから自由落下する時のスリルを味あう。
その時『無重力状態もさることながら,眼下の地表が見る見る近づいてくる。しかし・・・,中々ブレーキが掛からない・・・』周辺から悲鳴が上がる。 そんなスリルがある。

私達はここに13:00頃から約3時間半滞在したが,しかし少なくとも5時間は居たかった。


10/27 Mon ≪ 荷物及びアパートの最終整理 ≫
台湾滞在はいよいよ今日,明日の2日だけになった。
荷物の最終整理をし,ゴミもできるだけ整理してアパートの部屋をあけ渡す準備を整えた。


10/28 Tue ≪ 荷物発送,会社での最終挨拶 ≫
今日は朝 9時 運送業者(日本通運)の作業者がきて荷造りし,発送を済ませた。
荷物は大小ダンボール箱 9個。 保険金額合計78万円,持込税の対象になる別送品価格=ゼロ。
私は帰国のことを考え家財道具は殆ど買わなかったが,それでもパラグライダーやゴルフクラブや衣類,書籍などでこの程度の量になったが,一般の他の人に比べるとあまりの少なさに拍子抜けの様だった。

その後は会社で技術開発部の全員が≪お別れ昼食会≫なるものを開いてくれた。
お別れの挨拶を(中国語は不自由なので)英語で行い,花束をうけた後会食に移った。
多くの人はもう一生会えないと思うと無性に寂しさが込みあげてくるが,私はできるだけにこにこして・・・涙がでる様な雰囲気にならない様にした。
その後,工場全体を回り一応全員に挨拶して16:00会社を後にした。


10/29 Wed ≪ 遂に 帰国の日 ≫
朝 6:50会社からの迎えの車でアパートを後にした。
空港ぬは日本人仲間及び数名の台湾人も見送りに来てくれた。
飛行機は8:50発だが,皆はこれから会社で仕事なので,私は7:45にお別れしてゲートをくぐった。
その後は定刻通り,14:15関西空港着。 
入国手続き及び別送品の手続きをなるべく要領よく済ませ,自分で持帰ったスーツケスを宅急便で自宅に送り,急いで本社に行ったが到着は16:40になった。
早速 社長,専務,他関係者に駆け足で挨拶を済ませて広島に帰った。 自宅到着 21:00。


10/30Thu,31 Fri  ≪荷物整理,退職手続き ≫
帰ったと言っても昨日までの台湾生活が身についているのでまだピンと来ない。
関西空港から送ったスーツケースが午前中に届き,とりあえずその整理から始めた。
しかし荷物を出し始めても狭い家の中には収める余地がない。仕方なく机やテーブルの上に重ねていると早速うちの奥さんからクレームがついた。

翌31日は昼過ぎ,退職に伴う,要するに 社内預金や失業保険や健康保険等の手続きのため,私の所属先である呉工場に行った。
用件を済ませた後,後輩達と懇談し,工場見学もしたが・・・呉工場もこれが最後と思うと台湾から離れた時と同じ様に胸の詰まる思いがした。


11月 9月