このページは、個人的な想像を混じえた『私個人の歴史観』です  mail



☆☆☆ 瀬戸内物語(呉湾中心とする歴史編) ☆☆☆


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近隣諸国との関わり
 こうして第二次世界大戦の結果、国際連合が設立し新しい世界秩序が生まれた。

 ◆◇ 南方諸国との関係
 結果的には、日本の戦況が悪化し、〜敗戦した為、独立の約束は果せなかったが、日本の併合時は、西欧の植民地支配(奴隷制度)と異なり、現地人に教育を施し、重要ポストにも登用し、インフラも整備したので、戦後の独立には大きく貢献している。

 ◆◇ 韓国との関わり(日韓併合)
 韓国人にとっては、日清戦争後、戦わずして日本人に支配(併合)される関係になった。
しかし朝鮮には厳しい身分制度があり、殆ど自由のない下層階級にとっては 、教育が施され、給料も支払われるなど、かなり親日的だった。
  しかしそれから 40年も経て「太平洋戦争」前後には、全国民が目覚めていた。
 朝鮮半島(母国)内で、日本人に服従し、「下層人種」と屈辱的に差別視され、日本語を強要され、何十万人(それ以上かも?)もの朝鮮人が徴用工として、日本各地のダム工事や、鉄道工事、炭坑、軍需工場等で危険作業や重労働に従事させられる・・・等々、「日本人憎悪」 は頂点に達していた。 「日本の敗戦時」には、全戸で万歳を叫んだとか・・・。

  ◆◇ 朝鮮動乱
 韓国では、日本の敗戦で やっと戻った平安も、数年後には【朝鮮動乱】が勃発し韓国全土が戦場になる大悲劇に見舞われた。
 ソ連の指導により「金日成軍」が突然攻撃をしかけ、人々は安全な場所を求めて逃げ回った。 しかし戦乱は韓国全土に及んだ。 それに対し国連軍が入城し、取敢えず停戦に漕ぎつけたが、その状態で、南北朝鮮の境界線を定めた為、大勢の南北離散家族が生じ現在に至っている。
 朝鮮動乱による死者数、及び焼夷弾の量は、太平洋戦争中に日本本土が被ったそれを上まわる大惨劇となった。 釜山には(動乱での)国連軍戦死者の広大な「国連墓地」が設けられている。

   ◆◇ その後の韓国との係わり
 1) 日本としては、
  @戦時に培った高度技術や処策が、戦後発展にフル活用できた
A敗戦により全ての過去をご破算にして、全員ゼロから横並びスタートができた、
B韓国での悲劇「朝鮮動乱」が、日本では【動乱特需】となり景気浮揚の慈雨になった、
 などにより、アッという間に世界第2位の経済大国に発展した.。
 しかしそれは、朝鮮半島から徴用された「徴用工」や「朝鮮動乱」や、何れも朝鮮半島の人々が踏み台になっていることを忘れてはならない。

 2) 韓国としては、
  日本軍は、朝鮮半島に鉄道やダムなどインフラ施設、産業や近代的都市基盤、社会制度や教育制度等々・・・莫大な遺産を残した。
  それらは当時(日本人用の施設)、韓国人には恩恵が少なかったとしても、戦後〜現在の韓国発展には、莫大な貢献になっている。
 因みにもし日韓併合がなかった場合、何処か他の国に併合されなかっただろうか(?) その場合、現状は如何になっているだろうか(?)

 ともかく朝鮮(当時)には戦時の開発技術はなく、朝鮮動乱(南北分裂)で荒廃した国土復興の途を進んだ。 しかし日本人憎悪の感情は断ち切れず・・・、日本との経済格差が開けば開く程「反日感情」が強まる状態だったのではないか(?)
 しかし平成元年前後(私の韓国赴任中)には、政権から変わり、ソールオリンピックが開催され、日本の先進技術を導入や、更に『日本を追越せ』と意気込みが感じられた。
 現在は、IR関連や最新科学技術など多くの分野で、日本を超えているのではないか(?)

 ◆◇ その後の中国との関わり
 中国は、戦勝国といってもアヘン戦争(1840)以来ずっと、新制”中華民国”(=中国)発足(1911)後も30年間以上、欧州各国や日本に踏み躙られる状態が続いた。
 中国政府(蒋介石政府)は、終戦と同時に復興にかかるところ、毛沢東軍に追撃され て台湾に逃避し【中華民国】の首都を台北に遷都した。 他方の毛沢東軍は 『中華人民共和国(首都=北京)』を建国(1949年)した。 それは台湾【中華民国】国連の正式国家で、本土【中華人民共和国】は反乱軍に過ぎなかった。

 その状態で政治経験の乏しい毛沢東軍閥が、10億人の国家統治は容易でなかった。
しかし、満州など旧日本軍の統治下で整備していた、政治制度、鉄道建設、電力、鉱物資源開発、近代都市基盤造り、産業振興、教育制度、銀行制度確立など・・・戦後の政権運営にとって、大きな貢献になっている筈だ。
 しかしそれから23年後(1972)、田中角栄と周恩来が中心に日中国交正常化交渉が行われた。
 ここで注目すべきは、敗戦国(日本)は莫大な賠償要求されるのが旧来の慣例だが、周恩来は『小異を捨てて大同につく』・・・。 つまり 『まともに賠償を求めれば、日中関係は永久に立ち直れない』、ともかく大略的に解決を計る代わりに、日本は【中華人民共和国】を承認することで決着した。
 それは本土【中華人民共和国】承認国は増加し国連の代表権を獲得する大偉業が成った。
しかし「日台の国交」は断絶状態で現在に至っている。