| ホーム |.   ****** 2003 ** 10/17(金)******       .

九分(チョォフン), 基隆(チィーロン)観光 ・・・





 10/15付け、会社から退職になった。 それと共に 今日からは毎日 戦場の様なスケジュールが始まる。
手始めはある台北に住む人の案内で,10/16 台北に一泊し,現在日本でも旅行案内や雑誌などで盛んに紹介されている九分基隆を 観光した。

九 分
(1989年ベネチア国際映画祭グランプリに輝いた台湾映画 ”悲情城市”の舞台)で一躍 世界に有名になった。
 
以前日本に支配されていた台湾は,1945年日本敗戦の結果・・・;
毛沢東に追われた蒋介石軍に侵略される所となり・・・,しかし全く武器をもたない台湾本省人(台湾人)は蒋介石軍に対し成す術もなく破れ,大陸から大挙移民して来た外省人に支配されるところとなった。
これに対し台湾各地で暴動が起こり,その都度本省人は蒋介石軍に粛正されるという悲劇を繰り返した。
しかし,台湾にはつい1980年代終盤まで蒋介石政府による戒厳令により,これらの事実の取り上げは堅くタブーとされていた。

”悲情城市”(”悲しみの街”)
はこうして1947年に起こった暴動≪2・28事件≫や,その後も白色テロ等で犠牲になった2万人以上もの台湾人の悲劇を取りあげ,激動の数年間を生き抜いたある大家族を描いた作品である。
その直前まで戒厳令でタブーとされていた事実がリアルに映画化されただけに大変な反響を呼んだ。

 ここ九分は台北から東に列車で40分(バスで1時間あまり)瑞芳駅下車後,タクシーで約15分。
基隆港を遠望する小高い丘 というより崖の様な斜面に 定着した集落で,九分という地名は,以前は9世帯だけの集落という由来だそうだ。

崖斜面に辛うじて設けられた狭い通り(路地)を挟み,民家や 商店街や,レストラン,古い昔の映画館の廃屋などが これまた崖に這いつくばる様な姿で,ぎっしりと 密集して立ち並び,その隙間から 時々見え隠れする基隆港や,その昔 金鉱だったという廃鉱などが ひっそりとして”悲情城市” というに相応しい雰囲気を 今も佇ませている。

そして今は 毎週 土,日の休日にはこの狭い通りに,日本人を含む 身動きのとれない程大勢の観光客が押し寄せてくるそうだ。
 


基 隆
基隆は 国際航路の貨物船や旅客船活況的に行き来する台湾最大の国際港であると同時に,台湾最大の漁港でもある。
海の玄関口である基隆港には険しい山が海に突き落ちる リアス式地形と,僅かばかりの平野を利用して開かれた港湾だが,山はあまり高くないので,(山の)上には港を見下ろす断崖の丘といった感じで,無数の高層マンション群が林立している。
これらが一体化して独特な景観を形成しているが,やっぱりリアス式の海岸線の美しさが印象的だった。

九分から塩寮(海岸)に下り→鼻頭角→基隆に向け海岸線を走るとリアス式の美しい海岸と共にそこには 約20年前まで 銅を生産していた廃鉱山や廃工場や廃墟が 生々しく姿を残している。
そんな廃墟や廃屋を見ていると,何というか,時代の流れの無情さと物寂しさに胸が詰る思いがする。

右手海岸線の美しさに見とれながらだんだん基隆に近づくと・・・;基隆漁港には大きな魚市場が開かれている。
そこで今水揚げしたばかりの新鮮魚を買って 隣のレストランに持込めば,即座に調理して昼食のテーブルに乗せてくれた。