| ホーム |  |   **** 2005 ** 11/18(金)**【 バスツアー 】***********

耶 馬 渓 紅 葉 狩 り



   11/ 18 Fri ≪ 耶馬渓 紅葉バス ツアー・・・ ≫           
この所ず〜っとドライブに出ていない。 とは言っても,何処かに出かけようにも,特に目新しい所もないし,ガソリン代も高いし・・・と考えると,中々気が進まないのが実情である。
しかし,今 紅葉のまっ盛りに,毎日々々家で過ごすのも能がないし・・・。  偶にはバスツアーで行くのも,同じコースを通っても≪何時も奥さんと二人だけのドライブとは違った雰囲気で,違った発見もある≫。

我が家の旅行は(私も奥さんも)どこか,違った所で,きれいな景色を見ることが気分転換だから,温泉には大して興味はないし,美味しいものを食べるためにわざわざ出かけよういう気もない。
そんな訳で今日は,比較的遠方で,昼食付き 4,980/人という一番安いツアーに申し込んだ。

 朝 7:30 ;広島駅北口発→中国道→ 壇ノ浦SA → 小倉東IC 椎田道路 →
青の洞門 ≪昼食・散策 12:00〜13:00 ≫ → 深耶馬渓≪散策≫ → 玖珠 15:00 →
大分自動車道・九州自動車道・中国道 →広島駅北口 20:30着
 
  ◆耶馬渓

 耶馬溪は大分県を代表とする景勝地で,山国川の本流,支流の両岸は荒々しい岩肌が狭り,山深い渓谷が真っ赤に色づく 紅葉の名勝地として名を馳せている。

 耶馬渓は,@≪本耶馬渓=(本耶馬渓町)≫, A≪裏耶馬渓深耶馬渓=(耶馬渓町)≫, B≪奥耶馬渓=(山国町)≫の3町にまたがる4渓谷を言い,その広大なエリアが全山,真っ赤な紅葉に包まれる様は,正に見事である。

 この中で,@≪本耶馬渓≫は主に山国川沿いの青の洞門周辺,羅漢寺のある羅漢山一帯の競秀峰群からなる。 A≪裏耶馬渓≫は山国川の支流に開け全長約8kmの渓谷である。

 B≪深耶馬渓≫は山国川の支流(山移川)沿いの渓谷で,狭谷に絶壁や石柱が屏風のように連なり,【一目八景】からの『紅葉展望』は見事である。 C≪奥耶馬渓≫は守実温泉から英彦山東側までの約16kmの山深い渓谷で,甌穴群(天然記念物)が見られる。


  ◇深耶馬渓(一目八景)
 山国川の支流、山移川に沿った景勝地。奇岩奇峰が林立し,変化に富む景観を織りなしている。
耶馬溪一番の景勝地である「一目八景」は,8つの奇岩が一望できることから名が付いた。  展望台があり,カエデ,モミジ,イチョウなどが紅葉が美しい。



  ◆青 の 洞 門
 『青の洞門』その歴史的経緯は頼山陽の「耶馬渓図巻記」,菊池寛の「恩讐の彼方に」,田山花袋の「耶馬渓紀行」等で有名である。
 その昔,ここは中津藩と 天領日田を結ぶ交通要所であったが,水量の絶えない山国川の辺りには【競秀峰の大岩壁】がそびえ,その崖道を通行する何人もの人馬が,川に転落して流されるという難所であった。
 それを偶々,諸国行脚で耶馬渓を訪れた禅海和尚が見て,大岩壁にトンネルを掘るという一大誓願運動を起こした。
そして初めは村々を廻り,村人に熱心に説いたが,しかし誰ひとりとして耳をかす人はいなかった。

しかし,多くの人を殺めた償いにと、トンネル掘削を決意した禅海(49歳)は,享保20年(1735)独りノミとツチをとり,この大岩壁に挑んだ。  当初,村人は痴と笑い,狂と誹り・・・,しかし念力堅固な禅海和尚のツチの音は 日に月に冴え, 年々洞は深さを増し・・・ていった。
そして,和尚の不動心はようやく村人の心に浸み渡っていき,村人も和尚と共にツチを振う様になった。 そうして皆の力を合せて30年,遂にこの洞門は完成した。
当時 長さ;308歩。広さ;騎馬の人の頭上3尺余り。 今は車が通るトンネルになっているが、昔の素掘りのトンネルも一部に残されている。
 


   2005  11/ 18 Fri ≪ 耶馬渓 バス ツアー・・・ ≫

 ◆青 の 洞 門



◇深耶馬渓(一目八景)



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