私の歴史観  My Historycal Feeling


瀬戸内海汽船トラベル主催 *** 『銀河クルーズ』(2014-11-6)

☆☆☆ あの時の『 瀬戸内海・大和 』クルーズ参加記 ☆☆☆
                          


 
温和な気候、白砂青松の浜辺、水面に写る白い雲、青い空・・・。海原に注ぐ暖かい日射しが銀幕になって漁船の群れを包み、沖をゆく船や島々が海面から浮き上がる(浮島現象)・・・。私たち呉、及び松山観光ボランティアガイドの皆さんは、のどかな瀬戸の海で繰り広げられた日本海軍の歴史跡を探訪するクルーズに参加した。船内では歓談などによりお互いの親交を深め合った。

クルーズ船”銀河”は11:30、僚友に見送られて呉港を出港。呉湾周辺や旧海軍などの説明を聴きながら早瀬瀬戸に差しかかると両岸は運河の様に狭まり、潮騒と島の人々の営みが何か懐かしさを誘う。”銀河”の前方沖合は白波が砕けちり、遥か遠方の島々がくっきり識別される。近景の島や小舟との絶妙な調和に見とれる間に、船室では昼食準備が整った。微かなエンジン振動と心地よい少しの揺れを感じながら弾む歓談と食事は、正に”銀河クルーズ”ならではの快楽。皆さんに分かち合いたい。

食事が終ると、そこはかつて太平洋戦争中、『大和』や『長門』など・・・夥しい数の戦艦が華々しく集結し、出撃に備えた柱島沖海域である。ここは1943年6月8日、停泊中の『陸奥』が、突然謎の爆発事故を起こして沈没したこともよく知られている。その『陸奥』の艦体は一部が引き上げられ菊の御紋章や主砲などが陸奥記念館(周防大島)に保存されている。

この辺りが今回の『日本海軍歴史探訪クルーズ』のハイライ トだが、淡々と見るのでは戦争の




実感は湧かない。だが故郷を想い家族を想い、最後の思いまで滲みついた遺品をじっと見ていると何か異様な感慨に心が奪われる。それを観光客の心にどれだけ伝えられるか・・・?それが私たちガイドとしての技量だろう。

だが、このクルーズは、『瀬戸内物語』の中の、本の一時期の一場面にすぎない。
 風光明媚な多島海には、往古より遣隋使や遣唐使船が通い、水軍系氏族が活躍し、戦国時代には村上氏ら海賊衆が支配した。江戸時代には北前船や各藩の廻船や参勤交代の大名など、人、物、文化や情報の大量輸送路となり、華やかな江戸文化を全国に伝播した。しかし黒船が来航すると開国派や攘夷派や外国人商人や武器などが行き交い、最新鋭の大砲を装備した動力船も通過する時代になった。
 明治以後は富国強兵一途、呉に海軍鎮守府が置かれ戦艦や大砲や弾薬など兵器生産や兵士輸送など、年を追う毎、軍事色に塗られ、遂にピークに達した。

それ(戦後)から70年経た現在、それら貴重な歴史跡も、文化や芸術遺産も、世界に誇る絶景スポットも・・・すっかり整備され、瀬戸内各地は、観光客の来訪を手ぐすね引いて待つ時代になっている。
 それに応える為にも、このクルーズは単編に終らず、『瀬戸内探訪』=続編が次々企画される様、期待したい。それは私たち観光ボランティアグループも、【呉〜松山〜周辺】が連係して広域観光ガイド網の確立を期待されると言うことである・・・。E