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SYSCO
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2003.10- bP22


上網(日文ホームページ )
【2年半前】
一度も見たことのないし言葉も一言も分らない台湾。そこはどんな国なのか,どんな人が住んでいるのか,どんな仕事が待っているのか・・・,期待も希望も大きい。 しかしそれよりも,こんな大役が私に勤まるだろうか・・・?不安の方がもっと大きい。 これが当時の心境だ。

【親切なSYSCO女性達】
入社早々私は総経理室に所属し主に技術開発部関係の職務に当った。必然的に,親切で,しかも英語も大変上手な二人の女性と出会った。それと背の高く日本語も達者なもう一人の女性にも出会い,会社内は勿論,台湾での生活も彼女達に助けられ,楽しく過すことができた。
この助けなしでは私は台湾では生きていけなかったかも知れない。

【SYSCO的仕事Style】
- (1)大胆で思い切りの良い決断と実行。
SYSCOの人はよく討議し,皆活発に意見を述べ合う。 しかし,結論がどうなったか分らないないことも多い。 しかし,いざ決断,実行の時には大胆で思いきりが良い。 だから成功した時は莫大の利益になる。 この利益は時に失敗することがあってもそれを補って余りある。
いつも失敗やロスについて心配を先に考え,行動に慎重な淀鋼人にはこんな芸当は中々まねができない。

- (2)爽快 !!! SYSCO人の底力
少なくと私は,技術開発は少々の失敗やロスに拘るより,
≪広い情報力とスピードが勝負だ≫と主張してきた。 つまり,沢山の情報は灯台であり,羅針盤である。 スピードは詳細に捕らわれないこと,及び力強いエンジンという意味だ。
そしてSYSCO人は 短期間のうちに,驚くほどのスピードで技術-生産部門は新製品を次々開発し,
販売部門は着々と販路を開き,莫大の利益をもたらす。 こんな力強さを私は何度も直視し,非常に爽快だった。

【SYSCO登山部の仲間達】
勿論壮健バリバリの若い人達のグループだから一年には何回も山登りする。 しかも台湾の山は高くて険しい。 そこに私の様な高齢の弱者が入れば足手まといなのは承知なのに,それでも彼ら破誘ってくれた。 お陰で台湾の3,000mを超える高い山にも登り,素晴らしい景色も眺めることができた。 台湾にも雪が降り、霜が降りることも自分の眼で確認した。 こんな思い出は私の脳裏には他の何事よりも印象強く残り続けるであろう。






【賽嘉滑飛倶楽部の仲間達】
ここは台湾中のあらゆる地方からは勿論,それ以外も沢山の仲間がやって来る。この中で私はイギリス人、アメリカ人,カナダ人,南アフリカ人・・・沢山の国の人々で構成するチームの中に入れて貰った。 ベストコンデイションになる冬季には数百人の日本人フライヤーも来た。 ほぼ毎週(多い時は毎週2回),一日中 仕事も,雑事も忘れ,新鮮な空気を吸いながら沢山の人と楽しく語り,楽しく飛ぶ。 こんな無上の心境は台湾でなければ中々経験できない。

【台湾国内旅行】
『旅行は私の大好きな趣味だ』といったら,沢山の人が色々な所につれて行ってくれた。 台湾の山は海底から隆起してできあがった褶曲山脈で,複雑な断層を繰返しているから,高低差2000m以上の断崖や,豪快な景色も随所に見られる。 大勢で行った社内旅行も楽しかったし,他にも 墾丁,台南,台北,花蓮,埔里,日月潭,阿里山,奮起湖,曾文水庫,・・・色々な所へ行った。

【何でも賑やかに振舞う国民性】
- ≪中秋節≫
日本では 『中秋の名月』といって,月見団子やススキを備え,真ん丸い 1年中で一番美しい名月を愛でながら一句を詠み・・・静かに楽しむ。
しかし、台湾では満月を口実にして家族が集まり,賑やかに過す。 街中の公園などでは,家族,町内会,或いは色々なグループでバーベキューをする。
夜になるとピーピーッ,バリバリバリーッ,ドーンド〜ン・・・,街中の至る所から 小花火や爆竹が夜中まで 間断なく,競う様に打ち上げられる。
こうして台湾の人々は一体になって不況も不景気も,憂鬱も吹き飛ばす。

- ≪選挙≫
候補者は当選したい気持ちも,お金が必要なのも日本と同じ様だ。
異なる点は,日本では小さな紙ポスターを指定場所に整然と貼り,全ての選挙カーは, 『宜しくお願いします』 とだけラバースタンパーの様に連呼する。
しかし台湾では大きなビルの壁一面に顔ポスターが描かれ,公園や広場には無数の旗や幟が立てられる。 物凄い数の選挙カーや応援者の行列がドラや太鼓や,花火や爆竹を打ち鳴らしながら行進する。

【路端の露店】
人通りの多い通りは沢山の露店が並ぶ。 暑いせいもあって歩き食いする食物やジュースなど利用する人は多い。 そして食べ殻もその辺に捨てておけば 『道路を掃除する人がチャンと片付けてくれる』 台湾にはこんな仕組みができあがってている様に思われる。

【終わりに】
台湾滞在中の色々なことが思い出される。 SYSCOの人々のことは勿論,毎日食べた脂の濃い昼食も,高雄の街も,散歩のコースも全てが懐かしい。 Newsletterには私の拙文を何度も載せて貰った ・・・。
思い出深い台湾とお別れと思うと余計に去り難い。 しかし帰国したら,多分また新しい楽しみを見つけ,新しい生活が始まると思うと,新たな希望もわいてくる。
台湾に再来訪の機会あり,皆さんにお会いする時には,同時に皆さんの努力で,尚一層発展したSYSCOの姿が見られれば嬉しい。 謝謝。









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